結局、何もいいませんでした。実際に子どもが半年前のようにしてくれるかどうかはわからないので、一種の賭けでした。

 どうなったかというと、何もいわなかったのに息子はいつもそうしているかのように食卓について食事をしました。

 これが信頼ですが、要は食卓につかない子どもの態度がいいとか悪いとかはおいておいて、信頼するということだけを考えてほしいのです。そういうふうに何が起こるかわからないけれど、あえてそこに飛び込むことが信頼です。

 果たして、私はあらゆる対人関係において疑ってかかっていないか、私の言葉を守ってくれるだろうと相手のことを無条件に信頼できているかどうかを考えないといけないということです。

 和辻哲郎が、こういうことをいっています。

「(信頼の現象は)自他の関係における不定の未来に対してあらかじめ決定的態度を取ることである」(『倫理学』)

 例えば、子どもが明日から勉強するといった時に、子ども自身も本当にするかわかっていません。実際、明日から勉強するといったからといって、勉強するということが確実に保証されているわけではありません。

 でも、それにもかかわらず、明日からどういう態度で生きていくか、まだ実現していない時に発した言葉に合致するように努めなければなりません。

 そういう能力を持っている人が、約束する能力を持った人であり、他の人から見れば信頼に値する能力のある人と見なされます。