聞いてみたら、大変な手の込みようで、下茹でしたらそのまま1日つけておいて、作り足している“かえし”のような出汁で煮て(これを髙島さんは「伝統の出汁」と呼んでいて、その配合は門外不出)、これをそのまま2日つけておくというのだ。それから、仕上げ用の薄めの出汁でもってことこと煮たものを出しているという。
一つ一つ、どれも、いい味わいにしあがっていて、いちいち、私は歓声をあげてしまったのだが、
「いや、うちのおでんなんて、そんな、すいません」
と髙島さん謝るのである。すると、Mさんだしぬけに
「どうしてそんなに謝るんですか」
と、割と聞きづらいことをズバッと聞いたら、
「いやあ、こんな店だしねえ、嫌いになってほしくないでしょ。だからねえ、すいませんねえ」
とこたえた。惚れ惚れする。
いろいろな商売を経て
セルフビルドで店を作り上げた
聞けば髙島さん、この店を1996年に開くまで、いろんな商売をやったそうだが、なかでも長くやっていたのが陶磁器商だったそうだ。それがうまくいかなくなったころ、
「人にもとめられる、感じのいい屋台がやりたいなあ、って思ってて。そしたらここで店をやれることになったんです」
それから、甥御さんの力も借りつつ、ほぼセルフビルドでこの店を作りあげた。ちなみに、この店は、青学の敷地内から湧いて渋谷川に注いでいた“いもり川”という川の暗渠沿いに建っている。V字カウンターの奥の席は、その暗渠のうえに飛び出した形になっていて、いわば天空のおでん屋である。
さて髙島さん、バブル期に「うん、まあ、そこそこの借金」ができて、店ができてからしばらくは、店頭での接客は知人にまかせ、もっぱら肉体労働に勤しんでいた時代もあったという。
以来、四半世紀にわたって、この地で店をつづけてきた。八王子の郊外に自宅があり、コロナ以前は始発、コロナ後は毎日終電で帰っては最寄駅から自転車に30分近く乗って帰宅しているという。そのせいなのだろうか、髙島さん身のこなしが実にしなやかなのである。







