どうして、ここまで狭い、お手製の店にしたのかと聞いたら

「ぼくはね、なんというか貧しい感じの店にしたかった。そういう貧しい感じがいいの」

 御意。この一言で、なにやらすべてがつながったのであった。

 そうだ、この店は、茶室みたいな店だ。おでんの庵だ。

 現存する唯一の利休作と思われる茶室・待庵はわずか二畳敷。この店もせいぜい三畳である。そこに常に火を前にして、元・陶磁器商で亭主たる髙島さんが、翁のように手ぬぐいを巻いて仕事をする。

書影『ロビンソン酒場漂流記』(加藤ジャンプ、新潮社)『ロビンソン酒場漂流記』(加藤ジャンプ、新潮社)

 客は鉤の字になってならび、それぞれ茶ならぬ酒を楽しむ。壁には客が書き残した落書きやらメッセージがまるで床の間の掛け物のようだ。しかも各席には自由につまめる駄菓子も置かれていたりして、もう、これは、必要なものがすべてそろったもてなし空間、アルコール曼荼羅、つまり茶室みたいな酒場、なのであった。そういや、茶室大流行の戦国時代はペストの時代ともかさなる、ふむふむ……

 会社の同僚だという先客の女性2人組が先に店をでて、あらたにやってきた2人連れは姉妹であった。髙島さんと長いつきあいだという姉妹は、

「東日本大震災の日、『今尽』がぺちゃんこになっていたら大変だ、助けに行かなくちゃ!って常連さんがみんな集まってきたんです。それで逆にみんな元気だってわかったりして」

 茶室にして灯台、である。こんなロビンソン酒場があるなら、都会は砂漠なんかじゃない。と、しみじみしつつ、さらに、昆布と大根をおかわりしたのであった。