一方、並の人間は人生の時間がまるで永遠に続くかのように捉えて惰性で生きている。なぜなら、彼らは残されている時間がどれほどあるかについて考えていないからだ。
あなたがこの惑星にいる時間はかぎられている。だから、そのことを強く意識して精いっぱい自分の人生を積み重ねることは、何より大切なことなのである。
身体の衰えを自覚しながら
自分を奮い立たせ続けた
この打席で、ぼくは自分に対する
持っていき場のない怒りをたたきつけるように、
打球を左前に運んだ。
プロ入り通算二千二百三十三本目のヒット。
それを、ぼくがどんな思いで打ったか、
おそらくだれにもわからなかったろう。
持っていき場のない怒りをたたきつけるように、
打球を左前に運んだ。
プロ入り通算二千二百三十三本目のヒット。
それを、ぼくがどんな思いで打ったか、
おそらくだれにもわからなかったろう。
(『燃えた、打った、走った!』)
――1972年シーズンの最終打席のことを思い出しながら語った言葉
これは長嶋にとって思い出深い1972年10月13日、後楽園球場でのシーズン最終戦を思い出しながら語った言葉である。この時点で巨人の優勝は決まっていた。そして8回2死満塁で長嶋が打席に立つ。スコアボードの電光掲示板には「264」の数字が灯っていた。長嶋にとって屈辱的ともいえるプロ入り15年目にして経験する最低打率である。
じつは、この年、オールスター戦を打率3割3毛で折り返しながら、秋口にはそれが2割5分台に急降下していた。じわじわと肉体の衰えが長嶋をむしばみ始めていた。
そしてこの言葉である。このシーズンのことを思い出しながら、長嶋はこんな言葉も発している。
「今までなら軽く内野安打にしていたはずのゴロが、もがいてももがいても、一塁までの距離が長く感じられるようになってきた。どんなに節制しても、これだけはどうしようもなかった」(『燃えた、打った、走った!』)
結果的に長嶋はそれから2シーズンを現役で過ごしたが、体力の衰えを気力でカバーしたことはいうまでもない。人間は危機に直面すると馬鹿力を発揮する。理屈ではなく、人間はそのようにつくられているのだ。







