「そりゃついていくわ…」“冷酷な名将”広岡達朗に心酔した選手たちが語った“信頼のつくり方”Photo:SANKEI

1978年にヤクルトスワローズを初の日本一に導き、翌年シーズン途中にチームを去った広岡達朗。3年余りにわたる監督生活において、“冷酷な名将”はヤクルトに何を残したのか?当時のミスタースワローズ・若松勉、エース・松岡弘らが、厳格すぎた「広岡野球」への考えを明かす。※本稿は、ノンフィクションライターの長谷川晶一『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

「厳しく基本を徹底すれば
チームは必ず強くなる」

 1976年途中から監督代行となった広岡達朗は、1978年の日本一を置き土産として、1979年シーズン途中にチームを去った。3年余りにわたる監督生活において、広岡はスワローズに何を残したのか?

 八重樫幸雄(編集部注/1969年入団の捕手)の答えは明快だった。

「それは、そのときに指導を受けた若手、中堅選手たちだと思います。角(富士夫)、渡辺(進)、杉浦(亨、現・享)、水谷(新太郎)、そして僕。

 こうした選手たちが広岡さんの時代に育って、その後も長くチームを支え、現役引退後もコーチになってヤクルトに残ったわけですから。特に水谷なんかは、広岡さんにみっちり鍛えられました。彼にとっては、広岡さんとの出会いはとても大きかったと思いますね」

 また、八重樫が考える「広岡野球とは何か?」、この答えも明確だった。

「広岡さんの言うように、“厳しく基本を徹底したら、チームは必ず強くなるんだ”ということを学びましたね。それは広岡さん自ら証明してくれました。

 ただ、固定観念が強い部分があって、それを嫌う選手との衝突があった。“その点だけは、なんとかならなかったかなぁ……”という思いは、今でもありますね」