「あの年の若松は、本当に大事な場面でよく打った。決して口数は多くないけれど、チームリーダーとして、他の選手の手本となってくれた。若松抜きでは決して日本一になることはできなかった」

 あまりにも手放しでの絶賛が続くので、「でも、監督在任当時は決して選手を褒めることはしませんでしたね」と水を向けると、その口調が厳しくなった。

「それは当たり前のことでしょう。目の前の戦いが続いてるのに、いちいち選手を褒めていてどうするんです?プロの世界において、監督に褒められるためにプレーする選手がいますか?“褒められるため”ではなく、あくまでも“勝つため”でしょう。わざわざ褒める必要などない」

 90代を迎えてもなお、「監督と選手は一線を引くべきだ」という広岡の哲学は何も変わっていないということがよくわかる発言だった。

大事な場面を迎えている
弟子を激励するのは当然のこと

 そして若松は、自身が胴上げ監督となった2001(平成13)年、リーグ優勝直前のエピソードを披露してくれた。

「優勝目前のことでした。神宮でジャイアンツと天王山の戦いで敗れたときのことです。このとき1つでも勝っていればとてもラクだったけれど、逆に追い詰められた状態になって、名古屋でドラゴンズとの4連戦がありました。その日は移動ゲームで、名古屋のホテルに着いてすぐに球場に向かわなければいけなかった。そのとき広岡さんから電話がありました……」

「突然の電話に驚いた」という若松が続ける。

「……広岡さんは第一声、“大変だろう”って言いました。“監督とは大変なものだよな”って。だから僕も“大変ですね”と答えると、“一度、みんなを集めて、頑張れでも何でもいいから、ひと声かけた方がいいと思う”とアドバイスしてくれました。そして、“たとえ負けても、自分で責任を取ればいいんだから。とにかく頑張れ!”って。あの電話はすごく嬉しかったですね」

 このとき、広岡はどんな思いで若松に電話をかけたのだろう?広岡の言葉はそっけない。