「そんなこともあったかな?悪いけど、記憶にない。ただ、かつての自分の弟子が大事な場面を迎えているんです。ひと声、激励の言葉をかけてやるのは当然のことでしょう。別にそれがたいしたことだとも思わない。きわめて、当たり前のことをしただけです」

 まさに、「クール」と称される広岡の面目躍如であった。しかし、広岡は今、確かに「弟子」と言った。若松は今でも「広岡さんから多くのことを学んだ」と感謝している。

 広岡と若松、両者の師弟関係は何年経っても変わっていなかった。

広岡がチームにもたらしたのは
プロが知っておくべき「勝利の味」

 広岡がチームにもたらしたものは何か?広岡から学んだことは何か?この質問に対する松岡弘(編集部注/1967年入団の投手。エースとして初の日本一に貢献)の答えはシンプルなものだった。

「勝つ味、かな?」

 続く説明を待った。松岡がゆっくりと口を開く。

「……広岡さんから教わったのは勝つ喜びでした。いくら自分の成績を残しても、それだけでは本当の喜びとはならない。勝つ喜びを知るために、プロとして何をすべきなのか。プロである以上、チームとして勝つ喜びを知らなくちゃいけない。そんなことを広岡さんから教わった気がしますね」

 1978年シーズン、心身ともに何も問題はなかったはずなのに、登板機会を剥奪された。「空白の26日間」(編集部注/1978年のペナントレースの最中に、広岡は1ヵ月弱の間、エースの松岡弘に登板機会を与えなかった)について、松岡は今でも「あのときは腹も立ったし、恥ずかしかった」と表情をゆがめる。

 それでも、この間に得たものの大きさを、今では確かに実感している。

「あの26日の間、いろいろなことを考えたし、葛藤もありました。でも、結果的にペナントレースでも、日本シリーズでも、最後まで投げさせてもらって、胴上げ投手になることができた。それは、広岡さんからのご褒美だったという気がするんだよね」

90歳を過ぎた監督から
年賀状がいまだ毎年届く

 世間一般の広岡評は「クール、冷たい、厳しい、怖い」など、さまざまある。松岡はどう思っているのか?質問を投げかけると、「その通りのイメージですよ」と笑いつつ、表情を引き締めて続けた。