八重樫の言う「固定観念」とは、「基本に忠実であらねばならない」という、揺るぎない広岡の信念のことを指している。
「どんな状況下にあっても、決して信念を曲げることがなければ、いつかその願いは実現する」という考え方がある一方で、「状況に応じて柔軟に対応していくことこそ、窮地においては必要だ」という意見もある。
対照的な考えがある中で、「時と場合に応じては柔軟性も必要だ」と八重樫は考えている。
かつて、野村克也は「先入観は罪、固定観念は悪」と語った。八重樫もまた、現役晩年には野村の薫陶を受けている。プロ入り時には三原脩に仕え、中堅に差しかかる頃に広岡と出会い、野村のもとで現役を終えている。
「1978年のスワローズ」の
キーマンは誰だったのか
24年に及ぶプロ生活における、「1978年」という1年について八重樫は言う。
「最終的には日本一になったけど、自分自身は大ケガをするし、腹の底から嬉しいという感覚はなかった1年でしたね。広岡さんから教わったのはその後もプロでやっていくための精神的な厳しさ、自分を律することでした。まだ20代だったので、広岡さんの言葉を素直に受け入れることができたのもよかった。今はそんな気がしています」
ついに、正捕手として迎えた1978年シーズン。もしも、八重樫が戦線離脱しなくても、チームは日本一に輝いていたのだろうか?
それとも、「自分が試合に出続けていたら優勝しなかった」と本人が語っているように、スワローズの日本一達成は、さらに遅れていたのだろうか?
「1978年のスワローズ」について広岡に話を聞いていると、何度も登場するのが「ミスタースワローズ」こと若松勉(編集部注/1970年入団の外野手)である。広岡にとって、「ヤクルト監督時代=若松勉」、そんな印象が根強いのだとすぐに理解できた。
「若松ですよ、ヤクルトが日本一になることができたのは。逆に言えば、若松が変わらなければヤクルトは優勝できなかった。私が監督となったとき、真っ先に考えたことは、そういうこと。“いかに、若松に自覚を持たせるか?”、まずはそのことを強く意識しました」







