広岡流チーム改革の初手は
中心選手の意識改革

 チームの中心である若松は、やがて広岡に心酔していく。「お前など、よそのチームに行けばレギュラーになれない」という屈辱的な言葉に発奮した。そこでふて腐れず、その悔しさを前向きに受け止めて努力できるのが若松の強みだった。広岡が言う。

「こちらの狙い通りに事が進んでいきました。その点は、若松が素直ないい男だから可能になったんです。若松ならば大丈夫。思った通りに進んでいきました」

 余談ではあるが、後に広岡は西武ライオンズの監督に就任する。このとき、広岡はチームの主軸である田淵幸一(編集部注/1979年に阪神タイガースから西武へ移籍。翌年、捕手から一塁手に転向)にも同様の手法を採っている。若松は言う。

「後に広岡さんが西武の監督になったとき、田淵さんがボロクソに言われているのを見ました。その映像を見ていて思いましたよ、“あっ、広岡さんはオレと同じように接しているな。今度は田淵さんがターゲットなんだな”って」

 広岡に真意を尋ねると、「ハハハハハ」と大声で笑い、こう続けた。

「田淵もまた、本当に素直でいい男ですよ。当時の西武は誕生したばかりの若いチームで、各球団からの寄せ集めで、チームの軸となるものが何もなかった。

 あの当時の西武は田淵が変わらなければ機能しなかった。若松が言うように、“田淵を変えなければこのチームは変わらない”という思いは、確かにありましたね」

 スワローズ監督就任時には「若松が変わらなければ優勝できない」と感じたように、ライオンズ監督就任時には「田淵を変えなければ……」と痛感した。

 チームの軸となる中心選手の意識改革。それこそ、広岡流チーム改革の初手なのである。

「優勝した年には、広岡さんに対する信頼感はハッキリと芽生えていました。“この人の教えに間違いはない。この人についていこう”と心から思っていたし、“絶対に監督を胴上げするんだ!”という思いがありました」

監督在任当時の広岡は
なぜ選手を褒めなかったのか?

 この言葉を広岡に告げると、「ほう、若松がそんなことを……」と冷静に受け流しながらも、受話器の向こうで白い歯がこぼれている姿が容易に想像できた。