「老い」は不幸ではなく
人間だけの特権

「老後」という言葉がある。

「老後」とは何だろうか?

「老後」とは不思議な言葉である。そのまま読めば「老いた後」という意味である。

 しかし、老いた後とはどういう意味だろう。老いた後は、もう死んでいる。

 定年後という意味だろうか?そうだとすれば、老後かどうかは会社が決めることだろうか?

 そもそも、人は生まれた瞬間から、老いていく。どこから先が老いということもない。

 もっとも若い盛りのピークを過ぎれば老いを感じるかもしれない。ただし、私たちは老いることを憂えているが、老いることのできる生物は少ない。

 あんなに元気よく鳴いていたセミも、秋になれば死んでしまう。卵を産めば、もう用はないのだ。そのため、年老いたセミは存在しない。

 魚のサケも、卵を産み落とすと命が尽きてしまう。だから、年老いたサケは存在しない。

 私たち哺乳類の仲間は、他の生き物に比べると長生きをするものが多い。私たち哺乳類は、子どもを産み落としてそれで終わりではない。子育てという大切な役割がある。そのため、哺乳類は、寿命が長くなっているのだ。

 しかし、それでも子どもができなくなるような年齢になれば、寿命が尽きていく。

人類が長生きするには
老人の知恵が必要だった

 よくよく考えると、私は生物としては終わっている。何しろ、子どもたちは自立して、もう子育ても終わっている。

 子孫を残すことが生物の役割だとすれば、世代を引き継いだ私は生物としては、もう終わっているのだ。

 しかし、人間は子育てが終わってからも、まだまだ長く生きる。

 これは、どうしてなのだろう。

「おばあさん仮説」と呼ばれる仮説がある。

 人類の女性はある年齢に達すると閉経して繁殖を行わなくなる。しかし、子育ての経験がある女性がおばあさんとなって、孫の面倒を見ることで、子どもの生存率は高まる。さらには、食べ物を集めたり、調理する技術などの暮らしの知恵も、親から子へと受け継がれていく。

 つまり、おばあさんがいることは、人類の生き残りにとって、有益だったため、人類は寿命が長く進化したというのが、「おばあさん仮説」である。