車という「鉄の塊」にダジャレで人間味をふきこんだ
《鈴木修はこんな言葉も遺している。「俺は養子だから、子供の名前もつけさせてもらえなかった。だから、クルマの名前は自分でつけたい」》(同書)
婿養子として鈴木家に入り、創業家の中で実力を証明し続けてきた鈴木氏にとって、開発した車は我が子同然であった。だからこそ、記号のような無機質な名前ではなく、自らの口から出た、体温の通った名前を与えたかったのだ。
「ワゴンR」の「R」には、Revolution(革命)やRelax(くつろぎ)といった後付けの意味も込められているが、その根底にあるのは「ワゴンもあるよ」という、鈴木氏から世間への、茶目っ気たっぷりのメッセージであった。
結果として、ワゴンRは空前の大ヒットとなった。1993年の発売からわずか3年で国内累計販売台数は50万台を突破。それまで「お母さんのセカンドカー」という位置づけだった軽自動車を、「お父さんも乗りたくなるファーストカー」へと押し上げた。
全高を高く取り、座面を上げることで見晴らしを良くし、大人4人がゆったり乗れる空間を実現した「トールボーイ」スタイルは、その後の軽自動車の標準規格となった。現在、スズキはインド市場で圧倒的なシェアを誇り、ワゴンRはインドでも累計300万台以上を売り上げるベストセラーカーとなっている。
なぜ、鈴木氏のダジャレは、これほどまでに成功したのだろうか。
冒頭で紹介した論文に照らし合わせて考えてみると、成功の理由が見えてくる。
鈴木氏のダジャレは、確かに「企業のトップが商品名を冗談で決める」という意味で、規範からの逸脱(違反)である。しかし、その逸脱は決して誰かを傷つけるものでも、不快にさせるものでもない。
むしろ、「自動車というハイテク製品」と「ダジャレという庶民的な文化」のギャップが、消費者の緊張を解き、商品を身近な存在へと変える作用をもたらしたのだ。
「アルト」に「ワゴンR」。これらの名前を聞くとき、私たちは技術的なスペック以上の「愛嬌」を感じる。それは、鈴木修という稀代の経営者が、鉄とプラスチックの塊である自動車に吹き込んだ、人間味という名の命なのかもしれない。








