バックヤードと呼ばれる店の裏側で、僕はそうした作業を毎日続けていた。もともと僕は大勢でわいわい楽しくものごとを進めるよりも、1人で細かなことを淡々とやるほうが気持ちが落ち着くから、バックヤードでの野菜カットはたぶん僕の性格に合っていたのだと思う。

 好き嫌いではなく、向き不向きで、仕事が僕を選んだのだ。

ちゃんと教えてもらえなくても
試行錯誤する面白さがあった

「こうするんや。見ときや」

 そう言ったのはバックヤード全体を管理している主任で、四角い顔とずんぐりとした体がロボットのようだった。店長よりも10歳ほど年上だったように思う。店長が妙に高い声であれこれと指示を出すたびに「はい」と唸るような声で答えて、丁寧に頭を下げていた。

 主任は、先っぽがボルトで固定されている大きな包丁で南瓜を半分に切り、手早くラップで包んだあと、印字機から頭を出している値札ラベルを台紙から?がし、パチとラップの上に貼った。くるりと半分回して確認したあと、赤いプラスチックの籠に入れる。一瞬の動作だった。

「ほな、あとやっといて」

 1回やって見せただけで、主任はすぐにその場を去った。切るときに南瓜をどんなふうに置くのか、ラップはどれくらいの長さで切って、どちら側から巻くのか、ラベルはどこに貼るのか。何も教えてくれない。今見た動作と、赤い籠の中に入っている数個の南瓜を見て、自分で考えるしかなかった。

 そう、誰も仕事なんて教えてくれないのだ。

 見よう見まねでさえない手探り状態のまま、僕の野菜カットは始まった。それでも繰り返せば慣れてくるもので、何週間か経つうちに、どうすればきっちり正確に野菜をカットできるか、どうやればきれいにラップで包めて、見やすく値札が貼れるかなんてことを工夫するのが楽しくなっていた。

 けれども、仕事とは世の中に何かを付け加えること、世界をほんの少し変えることだとしたら、それはまだ仕事ではなかった。