この母の言葉に対して、当時の大谷はこう答えたといいます。
「プロの世界はピッチャーもバッターも死にもの狂いでポジションを奪おうとしている世界なんだから、どっちもやりたいなんて、やってる人に失礼だよ」
この言葉からもわかるように、高校生の頃の大谷は、まだ、「プロ野球で二刀流」を実現できるとは思っていなかった……というより、「メジャーへ行ってピッチャーで成功したい」という考えのほうが強かったのです(もともと、大谷は少年時代、愛犬に「エース」という名を付けるほど、バッターよりもピッチャーへの思い入れが強かった)。
母の何気ない言葉で
先入観から解放された?
事実、ドラフト会議の4日前、2012年10月21日、こう宣言しています。
「アメリカでプレーさせていただくことを決めました。(中略)ドラフトでどういう結果になっても、アメリカに行きたい気持ちが強いですし、ピッチャーとしてやりたいと思っています」
なんと、しっかりと「ピッチャー宣言」をしているではありませんか!
しかし、この「野球をよく知らない母親」のひと言は、大谷の心に、ひとつの「ひっかかり」を残したのではないかと思うのです。
なぜって、この母の言葉こそ、まさに、「先入観のないひと言」だからです。
そう。大谷は、母のこのひと言で、大好きな言葉、「先入観は可能を不可能にする」を思い出し、「あれ?プロ野球では、ピッチャーとバッターの両方はできないというのは、自分の先入観なのでは?」と、チラリとでも思ったのではないでしょうか。
その大谷の小さな迷いを敏感に感じ取り、ドラフトの前から「大谷指名」を宣言し、その言葉どおりに、大谷を1位で指名したのが日本ハムファイターズでした。
日本ハムは、大谷が「まだ具体的にはメジャーの球団を見に行っていない」という事実を知り、「まだ、大谷の心には小さな迷いがある」と、そこに一筋の希望の光を見出したのです。
そして、入団交渉では、かの有名な「大谷翔平君 夢への道しるべ」と題する26ページ、別紙5ページにわたるプレゼン資料を用いて「メジャー行き」を考えていた大谷の気持ちをひっくり返したのでした。







