都市型知的エリートは生成AIに感情を託さない?

 ところで、統計をとったわけではないが、技術リテラシーが高い層、あるいは知識層に分類される層(まとめて「都市型知的エリート」とでも呼ぶべきか)ほど、生成AIと感情的な交流をしたり、人間的に接して自己を開示したりすることを生理的に嫌う傾向があるように思う。筆者周囲の人たちを観察していても、そんな感じだ。

 回りくどさを排して言おう。都市型知的エリートとはつまり、マイルドヤンキー的な気質とは真逆の人たちだ。

 都市型知的エリートが生成AIと感情的に交流したくない理由のひとつには、彼らがなにかにつけ、根拠やエビデンスや再現性や責任の所在を明確にしたい人種だから、という側面はあるだろう。

 現在の生成AIはそのあたりが弱い。あるいは、ユーザーの欲しがっているリアクションを提供したいばかりに様々な嘘をつく。それをわかっている彼らは、「最終的には信用できない」「仕事上のアシスタント程度で止めておきたい」として、生成AIへの盲信を警戒する。

 しかし多くの、マイルドヤンキーを含む「普通の人」「等身大の生活者」にとって、根拠やエビデンスや再現性や責任の所在のように七面倒臭いものは、正直どうでもいい。欲しいのはそういう小理屈ではなく、シンプルに寄り添ってくれる態度であり、優しく快適な言葉だ。正論マウントとは逆のものである。

ミニバン、ショッピングモール、ディズニーランド、そしてチャッピー

 生成AIをめぐっては、知的利用を追求したい人と感情利用を日常化したい人との間に、大きな分断があり、両者は徹底的に相容れない。なんなら都市型知的エリートは、生成AIを感情的・情緒的に利用する人たちを目の当たりにすると、内心ちょっと馬鹿にする傾向があるようにすら感じる(筆者はそういう場面を結構見てきた)。

 そのことは、マイルドヤンキーという言葉が流行したとき、マスコミをはじめとした知識層が率先して「おもしろがった」ことと無関係ではないだろう。「おもしろがる」姿勢には明らかに、「上から下」への視線の向きがあった。