ポケベルや電話は、情報のやり取りではなく感情の交流ツールとなった。記念写真や家族写真は正確性より情緒性を重視するものであり、自撮り写真は自己承認欲求という感情を手なづける性質が強い。

 ChatGPTも然り。「普通の人」は生成AIに絶対的な正解や正確さなど求めていなかった。彼らが欲しかったのは、感情消費の受け皿として自分の気持ちをケアしてくれる楽ちんな存在であって、知の化身や合理主義を振りかざす正論モンスターではない。

 自分を否定しない優しい他者。ヘビーな愚痴や相談にも気分を害さない聞き手。生活上のストレスを軽減してくれる気楽な友人。それをすべて満たすのがChatGPTだったのだ。

 この感じ、何かに似ている。

 マイルドヤンキーだ。

ChatGPTはマイルドヤンキー的?

 マイルドヤンキーとは、マーケティングアナリストの原田曜平氏が2014年の著書『ヤンキー経済』で提唱した造語。自分が生まれ育った郊外や地方で親しい仲間・家族と安定した生活を好む、2000年代以降の若者層を指す。昔のヤンキーのような攻撃性はない。

 よく言われる特徴は、徹底した地元志向で、地元の友人たちとのつながりを重視し、上京志向や上昇志向に欠け、ITへの関心やスキルが低い――といったところ。今、この瞬間のまったりした空気や状況を壊したくない、無用の摩擦を避けたいという、メンタル面での保守性もそうだ。自己変革によるステージアップを絶対善とする意識高い系の逆、という言い方もできる。

 これらの志向は、相談相手としてのChatGPTが取るスタンスそのものだ。

 冷徹な正論マウントで空気を乱すことなく、まったり居心地よい空気を壊さないことに注意を払う。絶対的な正しさの追求よりも、相談者の気分を害さないことを重視する。相手の気持ちに徹底的に寄り添い、時に褒め倒してまで、快適を提供する。

 マイルドヤンキー的な価値観においては、昔からの仲間たちによる「空気」のキープがもっとも守られるべきものであり、空気を乱すような行為は嫌われる。「第三者が正論を突きつけてくる」など論外。「誰お前? 俺らの中に入ってくんなよ」だ。

 先述したBさんは、マイルドヤンキーよろしく「ITへの関心やスキルが低い」人だった。何より、Bさんのプロフィールがドンピシャでマイルドヤンキー要素に満ちている。