『ヤンキー経済』によれば、当時のマイルドヤンキーが好んでいたのは、ミニバン、ショッピングモール、EXILE、西野カナ、ディズニーランドだ。

 いずれも世の中では超メジャーな「売れ線」でありながら、都市型知的エリートからはどこか冷ややかに(なんなら冷笑的に)取り扱われていた側面もあったとは言えないか。都市型知的エリートが向けるこの種の冷ややかさは、ChatGPTを感情的・情緒的に利用する人たちに対するそれに近い。

 結論。ChatGPTの普及プロセスは、ポケベル、電話、写真と同種のものであり、今後まとおうとしているメジャー感は、ミニバンやショッピングモールやEXILEや西野カナやディズニーランドと同種のものである。

 そのディズニーランドに引き寄せて言うなら、ChatGPTを相談相手とするマイルドヤンキーにとって、「ChatGPTが言ってることの根拠やエビデンスや再現性や責任の所在は?」などと小賢しくごちゃごちゃ言ってくるのは、パーク内でミッキーマウスを前に「中に入っているのは誰?」「本当は何人いるの?」などと言い出す野暮と同じ。要するに「最悪」で「冷めること言ってんじゃねえよ」であり、「つまんねえ奴」の極みだ。

 生成AIを相談相手にしている人は、生成AIが生身の人間でないことくらいわかっている。ただただ、ディズニーランドの入場ゲートを一旦くぐったら目一杯楽しむべしという場の流儀に従い、快適な空気に浸っているだけだ。

 ミッキーマウスはミッキーマウスであって、誰かが中に入っている着ぐるみではない。休日のレジャーに根拠やエビデンスや再現性や責任の所在を求める愚かさよ。

 やはり、両者はどこまでいっても相容れない。

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