ヘルパーは「ベッドのシーツ交換をするため、車椅子に移乗していただきます。その間、少し外の空気に触れましょう」と言い、保雄を車椅子に乗せてバルコニーまで連れてきて、外に出してくれた。
風が強くすぐに寒くなってしまったので、ほんの10分ほどの時間だったが、彼は全身に風を浴びることができて、とても満足そうだった。
保雄は外の景色や音、そして自然の香り全部に感動していた。住んで28年も経つというのに、こんなに広く気持ちのいい場所だったことにいまさらながら気づいたようだった。
仕事の忙しさにまぎれ、普通に暮らしていた時は気づかなかったと、ひとつひとつのことに驚き、言葉に出して喜んだ。私は近くに咲いている椿の花や顔を出したばかりのツクシを摘んできて見せたり、まだ春が浅くへたくそなウグイスの声を聞いて一緒に笑ったりした。それが嬉しかった。
人と会って話すたびに
顔色がよくなっていく
ガリガリに痩せて面立ちが変わっていることは自分でもわかっていたはずだが、それでも保雄は、会いたいと言ってくる友人や親戚を拒むことはなかった。
帰宅して3日目には、日本ロシュ(編集部注/保雄さんのかつての勤務先、スイスに本社のある製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロシュ社の日本法人)で同期だったR子さんが来てくれた。彼女はいまロンドンで働いていて、たまたま一時帰国中に保雄の病気のことを聞いたそうだ。重篤なことを知って、どうしても会いたいと訪ねてきてくれたのだ。
真っ赤なアマリリスの植木鉢をかかえ、私には「食べられる時に口に入れてね」と惣菜パンをたくさん買ってきてくれた。食事が喉を通らなかったので、本当にありがたかった。
思いがけないほど会話が弾んだ。彼女の結婚式に招かれてボストンまで行ったこと。入社当時の研究所の同期や仲間の噂話。いまロンドンで行っている研究のこと。保雄も時折、声をあげて笑っている。







