人々が絶望に陥らないようにするためには、特に若い人たちに、チャレンジできる場を意識的に設けることが大切です。失敗を人生の物語・ナラティブの当然のシーンとして受け入れ、評価する気風を育てるべきです。このことは、教育だけでなく、社会的起業をはじめ、さまざまな分野でも言えることでしょう。

失敗が「脱落」につながる
ビジネスの世界

マルクス・ガブリエル(以下、ガブリエル):まったく同感です。失敗は、ある種の達成として評価されるべきです。しかし現代の社会では、とりわけ経済の世界では、成功が過大に評価されがちです。私たちは、ある種の失敗を認め、きちんと報いる仕組みを持っていないのです。社会福祉国家のようなセーフティーネットが考案された理由の1つも、レジリエンスを育むためだったと言えるでしょう。

 言語学習を例にしてみましょう。私たちが言語を学ぶとき、失敗は不可欠です。言語を習得する唯一の方法は、すでにその言語を話す人たちに間違いを指摘してもらい、修正していくことです。それ以外に流暢に話せるようになる道はありません。

 言葉を話せる人は誰でも、数えきれないほどの失敗を重ねてきたのです。子どもたちが第一言語を習得する過程もそうですし、第二言語、第三言語、あるいはさらに多くの言語でも同じです。このように、失敗は単に役に立つだけでなく、前進するために不可欠なものなのです。

 したがって、絶望を回避するには、人間の達成を成功という観点だけで見るやり方を捨てることです。失敗は本質的に、生産的なのです。

 実際、ほとんどの科学はこの原則に依存しています。多くの科学者や物理学者たちは、生涯をかけて研究に取り組みながら、目立った成功を収めることなくキャリアを終えるかもしれません。しかし彼らの失敗は、後に続く発見のための道を切り拓いています。

 ノーベル賞が授与されるとき、そこには単に「優秀な」成果だけでなく、無数の失敗によって築かれた土台があるのです。そしてたとえノーベル賞を受賞しなかったとしても、私たちは科学者たちに報酬を支払います。ノーベル賞をもらえなかったからといって、誰も物理学者を解雇したりはしません。