アメリカの真の狙いは、革命防衛隊を中核とする現体制の支配力と寿命をどこまで削れるかにある。革命防衛隊はイラン革命を中東に拡大するために、各地に存在するテロ組織への支援を続けてきた。

 たとえば、トランプ大統領は、「世界最悪の人道危機」と称されるアラビア半島のイエメンを救うべく何度もコミットしてきたが、フーシ派の支援を続けるイラン革命防衛隊の存在があるかぎり、イエメンを救うことは困難である。

 つまり、イランだけでなく、中東の平和を取り戻すためにも、革命防衛隊の影響力を封じることが必要になっている。

 もちろん、イラン核問題は今回の攻撃のきっかけとなった重要な要素ではあるが、それは体制転換を視野に入れた包括的戦略の一部である。

 この構図は、過去の中東介入と本質的に大きな違いはない。「正義対悪」という単純な物語で理解すれば、今回の戦争の本質を見誤ることになるはずだ。

イラン国民は「アメリカによる解放」を望んでいるのか?

 SNS上では、イラン攻撃を歓迎し、路上で踊る人々の映像や体制打倒を期待する声が数多く拡散されている。長年、革命防衛隊による抑圧に苦しんできた人々の中に、希望が芽生えたこと自体は否定できない。

 ただし、それをもって「国民蜂起の前夜」と見るのは楽観的に過ぎるだろう。現在のイラン社会は、歓喜と同時に、深い恐怖が共存する、きわめて分裂した心理状態にあると考えられるからだ。

 直近の抗議活動に対して、治安部隊は極めて苛烈な弾圧を行ってきた。

 その苛烈さは、民衆の反政府運動を心理面からも断ち切るために計算尽くでおこなわれていると考えられる。実際、多くの市民が殺害され、その記憶は社会全体に深いトラウマを残している。

 この「記憶」こそが、体制側にとって自分たちを防御するための最大の抑止力となっているのである。

 人は理念や理想よりも先に、現実的な恐怖と損得を計算する。「民主主義のために命を賭ける」という行動は、歴史的に見ても例外的なものであり、大多数の人々がそこまで踏み切ることは稀である。