「これからどうするか」…
自問自答して出した答え
読者は、知らなかった過去の消費の責任を負う必要はない。しかし知ったあとで葛藤があるのなら、「これからどうするか」によってその人それぞれの倫理をまっとうすることができる。その選択を模索することそれ自体が倫理的であるともいえる。
このとき、作品や作者は考慮すべき対象の中心からいったん外れて、「自分はどういう人間でありたいか」という、自分を主役とした検討に移行する。加害者を断罪したいのか、作品と作者を切り離したいのか、被害者に寄り添いたいのか。
これらのどれかに極振りしてもいいだろうし、どれもを何割かずつ持つのもありえるだろう。どのようなスタンスが自分にとってもっともしっくり来るかを自問自答する必要がある。結論は出ないかもしれず、葛藤は解決しないかもしれないが、葛藤を抱えたまま生きるのも人間的であり、葛藤に誠実に向き合い続ける姿勢も倫理のひとつのあり方である。
私は、作品と作者を切り分けることはできなかった。『堕天作戦』が面白かった体験は真実である。それを否定はしないが、作者の今後の活動については本人に深く誠実な反省が見られない限りは支援するつもりはない(将来、加害者の深く誠実な反省を見ることがあったとして、その時自分の心がどう動くかは現時点ではわからない)。
これはあくまで私個人の結論である。千差万別の結論があって然るべきである。
現代は作者の顔と体温が可視化される時代である。だからこそ出版社や編集部にはより透明性や説明責任を求められるようになっている。受け手が葛藤を抱えなくて済む環境を整えるのも出版社・編集部の役割であり、マンガワン編集部ひいては小学館のそこの至らなさが今回の事態を招いたともいえる。







