また、加害者が更生して社会復帰の道を歩むなら損害賠償金1100万円の支払いは、法の観点から見れば社会的には前進の行いとなる(「そのような人間に更生の余地を与える必要はない」といった倫理観も当然あるだろうが、ここではあくまで法の観点からの原則論であることをご理解願いたい)。

 仮に加害者が損害賠償金の圧に潰され、生活が荒れ、さらなる加害行為に走ることになればそれは社会にとって不利益である。こうした観点から見ると作者への経済的支援にも良い部分はある。

「作品の消費」が与える被害者への影響は?
作者を応援するなら線引きが必要

 だが作品を消費することは加害者側への影響だけでなく、もう一つの側面を持つ。それは作品を消費することの被害者への影響である。

 栗田氏を支援することで栗田氏本人及び作品の世間への露出が増えれば、それを被害者が目にして心的苦痛を被るおそれが高まる。それ以前に、謝罪もしない許しがたい相手と、示談交渉に加わる形で被害者の傷を軽視した編集者ひいてはマンガワン編集部が、誰かから応援を受けているという事実だけでも、被害者の絶望には計り知れないものがあると推測される。

 被害者が現在進行形でPTSDに苦しんでいる今この瞬間の消費は、「過去のカラヴァッジョを現代で評価する」こととは質が根本的に異なるのである。

 ただし、どれだけ心を砕いても被害者の心の傷の全容は推測することしかできない。「漫画」と耳にするだけですさまじい心的苦痛を被っているかもしれない。であるから、読者は被害者に寄り添うならどこまでを応援すべきかを自ら線引きする必要がある。

 応援しないと決める対象をどこまで広げるのか――個人なのか、編集者なのか、プラットフォームなのか、マンガ界全体なのか。

 その線引きもまた読者自身が引き受けるほかない(※現時点ではすでに被害者への配慮を世に問いかけているマンガワン連載作家陣が多いので、自浄作用という部分を考えるとマンガワン連載作家および漫画界は「許容しない」の線外に置くのが現実的に思える)。

 このように、「作品の消費」ひとつを取ってみても、評価軸をどこに置くかで読者には様々な向き合い方が考えられる。