ところが、「家族を愛していない」という気持ちがあるとすれば、それは認知的不協和になります。防衛機制は、そのままの気持ちを認めると、自分に都合が悪い場合に、自分の気持ちを加工してしまうものです。
この「そのままの気持ちを認めると、自分に都合が悪い場合」というのが、「認知的不協和」です。「家族を愛していない」という気持ちがある場合、防衛機制が発動して、それが認められなくなってしまうのです。つまり、それは「自己愛不全」につながるのです。そして「愛すべき」という考え方は、自分のありのままから遠ざける、典型的な「べき思考」でもあります。
家族の「愛」にまつわる悩みは、より「自己愛不全」そのものと言っても良いかもしれません。それが解放されなければ、愛せるはずのものも愛せなくなるのです。
逆説的ではありますが、家族を愛するためには、「家族を愛さなければならない」と考えることをやめるのです。
子供の選択を受け止められない
教育熱心すぎる母親
ケース1
私は子供の教育に熱心でした。まだ私が教えられるうちは、つきっきりで子供の勉強を見て、色々と調べて良い塾に入れ、夫婦の希望である医学部に入学させることができました。しかし、今ごろになって、子供が医者にはなりたくないと言い始めました。
もちろん、私は大反対です。そんなことを言われると怒りを通り越して、悲しみさえ感じます。子供に対する愛情も冷めてしまいます。
私は子供の教育に熱心でした。まだ私が教えられるうちは、つきっきりで子供の勉強を見て、色々と調べて良い塾に入れ、夫婦の希望である医学部に入学させることができました。しかし、今ごろになって、子供が医者にはなりたくないと言い始めました。
もちろん、私は大反対です。そんなことを言われると怒りを通り越して、悲しみさえ感じます。子供に対する愛情も冷めてしまいます。
このケースの場合、親は子供のありのままを受け入れているのかどうかが気になるポイントです。もし、子供のありのままを受け入れようとしたら、まず子供の気持ちや考えをよく聞いてみようと思うはずです。その上で、独立した存在としての、親の意見や理由を伝えれば良いのです。それが「愛」するものへの対応になってくるのです。
ところが、このケースでは逆転現象が起きています。







