「夢を持て」と言われると、なぜか苦しくなる。
若い頃は自然に語れていたはずなのに、大人になるにつれ、夢は「現実的かどうか」「叶いそうかどうか」で選別されていく。努力も経験も重ねてきたのに、なぜか未来にワクワクできない。その背景には、日本人が無意識のうちに刷り込んできた「夢の定義」そのものがあるのではないか
私は『奇跡が起きる毎朝1分日記』の著者として、毎朝5時55分から無料の「1分朝活」を行っています。心と行動を整える短い習慣ですが、毎週月曜日はゲスト講師をお迎えしています。今回のゲストは『勝手な夢を押しつける親を憎む優等生と、東大は無理とバカにされた学年ビリが、現役合格した話』(サンマーク出版の著者・坪田信貴さんでした。坪田さんが「1分朝活」で語られたのは、夢を“取り戻す”ための、意外なほどシンプルな考え方でした。

【なぜ大人は夢を持てなくなるのか】ビリギャル著者・坪田信貴さんが語った「夢の正体」Photo: Adobe Stock

私たちが無意識に狭めている「夢の定義」

「夢とは何か?」

朝活の冒頭で、坪田さんはこの問いから話を始めました。多くの人が、夢=職業、夢=人生をかける大目標、と考えがちです。
しかし坪田さんは、それをきっぱり否定します。

夢とは、「まだ叶っていない未来の願望」
今日の晩ごはんに何を食べたいかでもいいし、小さなものが100個あってもいい。
意味がなくてもいいし、自分が生きている間に叶わなくてもいい。

夢を特別なものにしてしまった瞬間、人は「自分には無理だ」と線を引き始める
その線こそが、大人が自分で作り出した制限なのだと感じさせられました。

「どうせ無理」は大人の妄想である

『勝手な夢を押しつける親を憎む優等生と、東大は無理とバカにされた学年ビリが、現役合格した話』の根底にあるメッセージは明快です。
「どうせ無理、なんて大人の大嘘だ」

子どもは本来、可能性の塊です。
しかし大人になるにつれ、経験や失敗を通じて「現実的に考える」「無難に選ぶ」思考が身についていく。
坪田さんは、大人にはカタカナの「オトナ」と漢字の「大人」がいると言います。

経験の枠に縛られ続けるのがオトナ。枠を一つずつ外していくプロセスを引き受けるのが大きな人としての大人。その違いが、人生の広がりを決定づけるのです。

自分の死後に叶ってもいい夢がある

特に印象的だったのは、坪田さんご自身の夢の話でした。

それは「世界中の世界史の教科書に載ること」
自分の教え子や読者が大きなことを成し遂げて世界中の世界史の教科書に載る、その人物たちが坪田さんがこの世を去った後に坪田さんのことを語ってくれている、という発想に多くの参加者がハッとさせられていました。
夢は、自分が生きている間に回収しなくていい。自分の死後、誰かの人生に影響を与える形で叶ってもいい。そうした時間軸の長い夢の持ち方は、多くの参加者の価値観を揺さぶっていました。
坪田さん自身は「コバンザメ作戦です」と笑顔で言う。

夢を現実に近づける、具体的な習慣

話は極めて実践的でもありました。

夢は紙に書く。期限を入れる。毎日目に入る場所に置く
さらには、スマホやPCのパスワードを自分の夢にするというアイデアまで飛び出しました。
本を出したい人ならpubulishing my book by 2030 などとしておく。

そして何より、坪田さん自身が中学1年生から今日まで、毎日手書きで日記を書き続けているという事実。
「書きたくない日にもちょっとでも書く」「旅行先に日記を忘れたら紙ナプキンにでも書いておいて後から日記にはさむ」。
その積み重ねが坪田さんを育ててきています。

夢のハードルが下がった瞬間

参加者の感想で最も多かったのは、「夢の捉え方が変わった」という声でした。
年齢で夢を制限していたことに気づいた人。子どもへの声かけが変わりそうだと感じた人。小さな夢をたくさん持っていいと自分に許可を出せた人。

「どうせ無理」を手放した瞬間、未来は開き始めます
夢を持つとは、特別な人になることではありません。本当は誰もが、すでに夢を持つ力を持っている。
今回の朝活は、その感覚を思い出させてくれる時間でした。