長時間労働に追われていた新聞記者の井上陽子さんは、39歳でデンマークに移住した。そこで目にしたのは、誰もが早い時間に仕事を切り上げ、自由な時間を謳歌する短時間労働社会だった。「午後4時台に帰宅ラッシュ」――そんな“ゆるい”働き方なのに、デンマークの1人当たりGDPは日本の約2倍。賃金水準も高く、競争力ランキングは世界No.1。なぜ、日本とここまで働き方や暮らしぶりが違うのか? この記事では、話題の書籍『第3の時間──デンマークで学んだ、短く働き、人生を豊かに変える時間術』から、特別に一部を抜粋して紹介する。
世界競争力ランキングが常に上位のデンマーク、いったいなぜ?
小国デンマークが、実は世界トップクラスの競争力
デンマークが高く評価されている競争力って、いったい何なのか、というのが、まずは気になるところではないだろうか。
記者として疑り深さを訓練されてきた私が最初に考えたのは、何か、競争力が高く見えるような数字のカラクリがあるのではないか、ということだった。
例えば、一人当たりGDPがデンマークよりも高い欧州の国のうち、アイルランドは法人税率を非常に低く抑え、多国籍企業の本社機能を誘致している。GDPの高さはこうした外資の利益が大きく、必ずしもアイルランド国民自身の稼ぎを反映しているわけではない。
ルクセンブルクの場合は、フランスやドイツからの越境労働者が半数近くにも上るので、一人当たりGDPの計算式である「GDP ÷ 人口」のうち、分母が極端に少なくなる数字のトリックがある。
ノルウェーの場合は、石油と天然ガスの輸出が総輸出額の6割に上り、天然資源の恩恵を受けているところが大きい。
1人当たりGDPランキング
それで私は、欧州経済に詳しい経済アナリストなどに、デンマークの豊かさ、競争力の高さって何なのかと話を聞いて回ったのだが、どうも、何か仕掛けがあるというわけでもなさそうなのである。これは直接聞いた方が話が早いと、IMD内にある「世界競争力センター」の所長で、ランキングを統括するアルトゥーロ・ブリス教授に、デンマークの競争力の高さについて解説をお願いしてみた。
教授の説明はこうである。IMDのランキングでは、競争力を「適切な経済モデルによって、経済的豊かさを生み出す国の能力」と定義している。そして、ここで言う経済的な豊かさには、二つの構成要件がある。
一つは、適切な産業政策によってもたらされる生産的な経済や、天然資源の量など。もう一つは、生産性を個人の生活の質に転換できることだ。
この点、デンマークは、二つの要件を非常によく備えた国だという。ブリス教授はこう語る。
「デンマークは、輸出志向型の、非常に効率的な経済を作り上げており、マースク(海運大手)、レゴ(玩具大手)などの企業が世界中で成功を収めています。またその生産性の高さを、セーフティネットや優れた教育、インフラといった社会システムにつなげ、人々の高い生活の質に変換できています」
教授がとりわけ強調したのが、「国の豊かさを、人々の生活の質に転換できてこその、競争力」だということだった。
「お金」と「時間」の余裕がセットで揃う
人々の生活の質、と聞いて、私が思い浮かべたのは、ワーク・ライフ・バランスの改善を求めて一家4人でデンマークにやってきた、ある日本人家族のことである。家族ぐるみで仲良くしていたのだが、4年間のデンマーク生活の後、残念ながら日本に帰国することになった。
そして日本に戻ってみて、デンマーク生活の何が魅力的だったのか、改めてよくわかるようになったという。それは、お金の余裕と時間の余裕が、セットとして揃っている、ということだった。
「お金の余裕がなければ、時間がたっぷりあったとしても、家族で海外旅行に行こうなんていう気にはならないでしょ? デンマークでは、短時間労働でも収入のレベルが高いし、両親とも稼ぐのが普通だから、お金の余裕ができやすかった。医療費も教育費も無料だし、福祉が充実しているから、基本的なお金の心配はしなくていい。だからこそ、時間の余裕を存分に楽しめるところがあったんだよね」
この一家の場合、デンマークにいた頃は、両親ともデンマーク企業でフルタイムで働きつつ、両親とも同じように、家事・子育てを担っていた。ところが、日本に戻ると、母親の方が就職を断念せざるを得なくなった。
夫の労働時間は長くなり、子どもを預けようにも、延長保育がある保育園には空きがない。幼稚園は専業主婦やパートで働く母親を前提にしているから、お迎えは午後2時という早さである。パートならできるかもしれないが、それだと収入も限られているし、ごく補佐的な職務内容で、デンマークで評価されてきた仕事の実力を発揮できそうもない。
そこでフルタイムの仕事を探してみたものの、残業は覚悟してください、と言われて躊躇した。デンマークでは、やりがいのある仕事を任せてもらいつつ、仕事の後は子どもとたっぷり時間を過ごせていた。その経験をした今となっては、子どもが小さいうちの貴重な時間を、仕事のために失うのは、あまりにも惜しいと感じるようになったからだ。
これと比べると、デンマークでは、仕事の充実と暮らしの充実がゼロサムにならないような働き方が、さほど無理せずできるようになっている。それを、人々の生活の質の高さというなら、確かに納得するところなのである。



