口を開くと「とにかく透析は回避したい」の一点張りです。聞けば、芸術系の仕事をする現役で、まだやりたいことがある、透析に時間を取られるわけにはいかない、というのです。
透析の導入は、クレアチニンの値を基準に判断されます。8.0が目安ですが、この方は6.0、7.0あたり。基準値を超えてはいませんが、放置していいという状況ではありません。差し迫った状況とは思えない場合でも、ときに脳梗塞や心筋梗塞を起こすことがあります。病状は確実に進んでいくのです。
「こうしている間にも、血液が全身を回って老廃物を吸収していく。その“汚れた”血液が血管の内皮細胞をもろくし、刻々と侵していくんですよ」とお話ししました。
じっと聞いていたその男性は、「今から少しずつ透析を始めたほうがいいということですね」と納得した様子。そこで、ひと口に透析といっても施設で行う血液透析ばかりではないこと、在宅でできる治療法もあることを重ねて説明しました。
腹膜透析のおかげで
ライフワークも続けられる
仕事を手放したくないという彼が選んだのは腹膜透析でした。
それから治療を受けていた大学病院と連絡を取り、カテーテルを腹部に挿入する手術をした後、当院の管理のもとに腹膜透析をスタートさせました。
基本的には自宅で、自分で行う透析ですが、この方の場合は、訪問看護の手も借りながら、ご家族が協力してくださっているので安心です。最初にクリニックにいらしたときも、奥様、息子さん、娘さんも同席して、治療について熱心に質問されていました。
『からだの声を聴く習慣 腎臓内科医が教える幸せな人生への処方箋』(鈴木孝子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
実は80代のその男性は、世界平和に尽力したマザー・テレサやネルソン・マンデラをはじめ、日本の皇室、内外の要人を数多く撮影し、今も第一線で活躍を続ける写真家です。特にオフィシャル・カメラマンを務めて以来交流を続ける、チベット仏教のダライ・ラマ14世には深い思い入れがあり、1959年からインドに亡命を続ける彼の厳しい状況を多くの人に知ってほしいと、活動を続けているそうです。
あれこれあたためている写真展の企画もあり、のんびり闘病どころではない、という心境だったのでしょう。腹膜透析に出合ったことで、今は体力を維持しながら、変わらずライフワークに取り組むことができるのは本当にうれしい、と言ってくださいます。その晴れやかな笑顔に、私も励まされる思いです。
病気になっても自分らしく生きることはできるのです。人生の目標があり、それを成し遂げる熱意と治療の選択肢がある。それこそが「幸せになる医療」のひとつの姿といえるようにも思います。







