一方で、学校と直接の接点がない有名アーティストやアスリートが、「若者に向けたメッセージ」を語る場合はどうか。
問題はその人の実績でも人格でもない。その人が「完成された物語」を持ち込み、場の重心を自分の側に引き寄せてしまう可能性があることだ。「私はこうやって成功した」「夢を持て」「努力すれば報われる」といった言葉は耳になじみがよい。しかし、卒業生一人ひとりの3年間の経験とは無関係に完結している。
たとえスターが、成功談だけでなく迷いや挫折を誠実に語り、「あなたはどうか」と問うてくれたとしても、聴く側の関心はその人の存在そのものへ引き寄せられる。どんな話だったか以上に、誰が来たかが記憶に残る。「あのスターが来た卒業式だった」という印象は強い。
その分、「自分はどうだったか」という問いは弱くなりやすい。卒業式の主役は、あくまで卒業生であるはずだ。
卒業式という贅沢
社会に出れば、立ち止まる時間はほとんどない。忙しさの中で、人は自己像を固定したまま走り続ける。卒業式は、人生の中でも数少ない「公式に立ち止まることが許される日」である。卒業式は「誰かを見た日」ではなく、「自分を見直した日」であってほしい。
単なるじじいの小言かもしれないとは思うが、スターに頼るのは少し安易ではないか、と感じてしまう。私は、卒業式という場に、もう少しだけ静かな問いの時間があってほしいと思っている。







