2週間が過ぎ、1カ月経った頃、はしゃぎ方が大人しくなっていった。かといって、テンションが低くなったわけではなく、非日常を楽しんでいたのが、日常になっていった感じだった。それでも、腰越で暮らしているときよりは楽しそうだ。朝起きてのんびり散歩に行き、戻るとドッグランで少し遊ぶ。

 朝ご飯が終わると、私の仕事部屋に移動して、昼寝する。夕方また散歩に行き、夕食の後、みんなでリビングでくつろぐ。たまに大吉(編集部注/著者の白い愛犬)が、前足でちょんちょんしてくる。それに応えて大吉を撫でていると、福助(編集部注/著者の茶色の愛犬)が「オレも!」と寄ってくる。彼らはひたすら無垢だ。

 私はそんな大福を天使のようだと、常々思っている。

ドッグランで枝をガジガジと噛む福助ドッグランで枝をガジガジと噛む福助

愛犬たちの愛らしさが
山への移住の後押しに

 富士丸(編集部注/2007年に急死した、筆者の愛犬)との突然の別れで奈落の底に落ちていた私に色彩を取り戻させてくれて、意欲を復活させてくれて、ついには山への移住を決意させてくれた。

 彼らが私たち夫婦のところにやって来ていなければ、こんなふうにはなっていなかっただろう。彼らがそばにいるだけで生き方が変わったのだ。

 富士丸は3歳頃まで破壊活動をしていた。留守番させる度にクッションを食い破ったり、ひどいときはソファーまで破壊してくれた。トイレシートも毎回ビリビリにされていた。私が家にいるときは一切やらないのに、留守番させると必ずやる。

 働かないと生きていけないのに、どうしてわかってくれないんだよとずいぶん悩んだ時期がある。言うことを聞かない馬鹿犬なのか、と思ったこともある。

 けれど、馬鹿なのは私のほうだった。大型犬で、若いうちは体力が有り余っているのに運動が足りていなかったのだ。それに、仕事で家を空ける以外にも、しょっちゅう飲みに行ったりしていた。きっと寂しかったんだろう。トイレシートを破くくらいしか、訴えるすべがなかったのだ。

 そのことに気がついたとき、心の底から反省した。