人民への言論弾圧は続き、国際社会の秩序に挑戦し、自国の権益を強く主張し、経済成長を犠牲にしても「国家の安全」を優先する――そうした現在の中国の姿が当分続くことになると考えられます。

父親の失脚で15歳で田舎町に「下放」
朝から晩まで野良仕事

兼原:お父さんは習仲勲という革命の英雄ですよね。長征(編集部注/1934年から1936年にかけて、国民党軍に敗れた中国共産党軍が江西省の根拠地を放棄し、徒歩で1万2500キロを敗走した)の時に延安で毛沢東を迎え入れている。文革の時に難癖をつけられて失脚しましたが。

垂:ええ、「小説劉志丹事件」ですね。革命に功績のあった軍人・劉志丹を主人公に描いた小説が毛沢東の不興を買い、先に触れた情報部門トップの康生らの目にとまって政治問題化してしまったのです。この小説の出版には習仲勲も関わっていたため、「反党活動」として因縁をつけられてしまいました。もっとも習仲勲自身は党内で一定の評価を得ていた大物でもあり、文革が終わった後には政治的に復権を果たしています。

兼原:習近平は1953年の生まれ。つまり幼少期から青年時代には反右派闘争、大躍進政策、文化大革命と続いていて、国策の誤りによって無辜の市民が大規模に餓死したり、殺され続けるような政治的激動の時代を生きた。

 習近平自身も通っていた中学がなくなり、父親が失脚したせいで15歳で陝西省の田舎町に下放されています。それから清華大学に入るまでの7年間は、朝から晩までずっと畑で野良仕事をしていたわけですよね。

 下放された北京の学生たちの悲惨な生活は、ドキュメンタリー映画『延安の娘』に赤裸々に描かれています。人生を狂わされ、教育の機会を奪われ、電気も水道もない農村での集団生活です。恋愛さえも反逆で、もちろん食べることさえままならない。革命の尖兵として送り込まれましたが、実際はイデオロギーで粉飾された農奴と変わらない。

垂:あの時代は多くの人が同じような経験をしていますよ。私はかつて周恩来の姪から話を聞いたことがありますが、やはり似た境遇に置かれていました。

 選択肢は軍に行くか、あるいは下放に耐えるかのどちらかで、比較的軍を選ぶ人が多かったと言います。軍に入れば少なくとも食べ物が確保されていましたが、下放先によっては食糧が極端に不足し、とりわけ高級幹部の子弟であるがゆえに厳しい扱いを受けることもあったでしょう。