「なぜ仕事にありつけないのか」「なぜ貧しいのか」といった不満に対し、共産党は「それはすべてアメリカや日本など西側による対中制裁のせいである」と説明します。
そうした国々に対抗するためには強い中国が必要であり、その強い中国を実現するためには習近平の指導が不可欠だ、という論理が繰り返し教え込まれるのです。幼稚園や小学校の段階から「習近平思想」の教育が導入されているのも、その一環です。
外部から見れば、「そんなもの誰も信じないだろう」と思うかもしれません。しかし、外国に行った経験がなく、異なる情報源に触れる機会も少ない地方の人々は、そうしたプロパガンダを簡単に信用してしまうという現実があります。
2023年8月24日に福島第一原発のALPS処理水の海洋放出が始まりましたが、その翌25日には北京の日本大使館に4万件以上の抗議電話や無言電話がかかってきました。
北京にある日本メディアにも一部同様の電話があったようで、ある記者が興味深い試みを行い、電話をかけてきた数人に逆取材をしました。「どこの出身ですか」「なぜ抗議しているのですか」「何に怒っているのですか」と尋ねると、いずれもが地方の比較的貧しい地域の出身者で、日本には行ったことがないのはもちろん、海を見たことも海産物を食べたこともない人々でした。
それでも「日本のせいで、食べたこともない海産物を将来も食べられなくなった」と強く非難していたのです。こうした抗議の多くが、そのような層から発せられていたというのが実態でした。
兼原:その人たちは、自分の人生や社会に対する不満のはけ口を求めているわけですよね。
垂:もちろんです。当時、中国当局は科学を完全に無視した虚偽の報道・プロパガンダを、あらゆるメディアを使って続け、日本批判を展開しました。対日批判の雰囲気を高める「お膳立て」を一定期間続け、その後は急にやめたのです。煽られた人民は大騒ぎをし、大使館へのいたずら電話だけでなく、日本人学校への投石騒ぎまで発生したわけです。
例えば、具体的にどんな非科学的な説明がなされたか。通常なら福島から処理水が排出されれば、日本列島に沿って黒潮が北に向かって流れているため、処理水は南から北へ運ばれていきますね。仮に悪影響が出るとすれば、まず日本(特に東北、北海道)、それからアメリカやカナダの西海岸という順になります。
『中国共産党が語れない日中近現代史』(兼原信克、垂 秀夫、新潮社)
しかし当時は清華大学の教授まで動員して、「福島を起点に放射状に水が広がり、数日後に中国に到達する」といった説明を真顔で行っていたのです。そんなことは科学的にあり得ませんよね。
兼原:本当のプロパガンダですよね。真実とかけ離れたことを平気で広める。
垂:本当にひどい状況でした。毎日何万件もの電話がかかってきて、私が日本に帰任するまでに100万件を超えていたと思います。数十本ある電話回線が夜中でも途切れることなく鳴り続けていました。そんな状態では、緊急の電話がかかってきても受けられません。
兼原:それは領事業務との関係で大きな問題ですね。
垂:地方からかかってきていることが分かったのは収穫でした。
兼原:大使として3年もいらしたんですよね。本当にお疲れ様でした。







