アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所 Photo:PIXTA
第二次世界大戦の終結から長い年月を経ても、ドイツではナチの犯罪をめぐる裁判が続いている。余命も短く罪を認めている高齢者を裁くことに、いったいどんな意味があるのか。そこには、ナチをめぐるドイツ社会の葛藤と、被害者の複雑な感情があった。ドイツに学ぶ戦後処理のあり方とは?※本稿は、ジャーナリストの中川竜児『終章ナチ・ハンター』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
2カ月で30万人を殺害した
アウシュヴィッツ収容所
2015年4月、リューネブルク地裁で、オスカー・グレーニングに対する裁判が始まった。
親衛隊員だったグレーニングは、アウシュヴィッツ(ビルケナウ)に到着した収容者の金品などを分類・管理する任務に就いていた。長くアウシュヴィッツでの経験を伏せていたが、ホロコースト否定論に触れ、2000年代に入ってその沈黙を破った人物だ。
ドイツの週刊誌シュピーゲルやイギリスの公共放送BBCのインタビューに応じ、「ガス室はあった。遺体を焼く火が上がっていた。私はそこに確かにいた」などと語り、一部で知られる存在になった。
ナチ犯罪追及センターは過去にも検察当局に捜査を促していたが、動かなかったという。しかし、デミャニュク裁判(編集部注/ナチス・ドイツの強制収容所のウクライナ人看守・デミャニュクは、大量殺人を目的とした収容所で勤務した事実により殺人幇助罪で有罪判決を受けた)が風向きを変え、93歳になった「アウシュヴィッツの簿記係」が法廷に立たされることになった。
検察側は、グレーニングが任務に就いていた期間のうち、1944年5月から7月にしぼり、謀殺幇助罪で起訴した。







