償ったところで
被害者の人生は取り返せない
高齢になっても、末端の「小物」であっても、裁きを受けさせることの意味を、ヴァルターに改めて尋ねた。
答えはこうだった。
訴追の準備をする際、犠牲者の名簿を作成する。エクセルを使い、アルファベット順で人名を打ち込んでいく。死亡時の年齢も加えると、年齢順で名簿を見ることができる。
「例えば、最高齢は90歳、91歳。最年少は2カ月、3カ月だ。被告が90歳と聞くと、高齢でかわいそうだと思うかもしれない。しかし、彼は20歳で罪を犯し、その後の70年間は家族とともに、幸せな生活を送っていた。いや、幸せかどうかは、本当は分からない。でも、生まれたばかりの赤ん坊はどうなんだ?どんな生活を送ったか、という問いかけはできない。その後の人生は、全てが失われているからだ」
もう1つ、ある生存者からかけられたという言葉を教えてくれた。かつて恐怖の対象でしかなかったドイツという国に来て、法廷に立つ。被告と向き合い、自身の経験や傷を語る。裁判官や傍聴者は何1つ聞き漏らすまいと、注意深く、真剣な眼差しを注ぐ。「その生存者はこう言ってくれた。『証言して良かった。トーマス、あなたは私に新しい人生を与えてくれた』と」
ヴァルター自身も、ある生存者との出会いによって「新しい人生」を歩んでいる。
ハンガリーのユダヤ人、エヴァ・プスタイ・ファヒディは女子学生だった18歳のとき、「ハンガリー作戦」の一環として、アウシュヴィッツに移送された。自身はその後、ブーへンバルト強制収容所に移送され生き延びたが、両親、11歳の妹ら親族49人を失った。晩年、アウシュヴィッツなどでの経験を語るようになり、グレーニングの裁判でも証言した。
ファヒディはヴァルターにこう語ったという。
「トーマス、あなたはアウシュヴィッツのことをよく調べて、よく知っている。その中には、私が知らないことまである。でも、あなたは『本当には』知らない。どんなに調べても。アウシュヴィッツを知っているのは、経験者だけなのです」







