犠牲者だけが
「赦し」を与えられる
著名なダンサーでもあり、回想録も出版していたファヒディは、メディアの取材に応じる機会も多かったという。
ヴァルターは「彼女はよく『憎しみ』について話した。『憎しみは魂を破壊してしまう。憎しみでは生きていけない』と語っていた」。ジャーナリストたちが彼女に尋ねるお決まりの質問もあったという。「あなたは被告を赦せますか」だ。ファヒディの答えはこうだったという。
「私の父や母、妹は殺されました。突然、何も分からず殺されました。殺される前、彼らは私が誰かに赦しを与えることを認めることはできませんでした。ですから、私は赦すことはできません。赦しを与えられるのは、犠牲者だけなのですから」
2023年に97歳で亡くなったファヒディは、ヴァルターの義母だ。ヴァルターはファヒディと裁判を通じて知り合い、その娘、ユディットと生活するようになった。生まれ故郷のドイツを離れ、ブダペストに住んでいるのは、それが理由だ。
「これは私自身、想像しなかった結果だ」とヴァルター。インタビューが3時間になろうとした時、ユディットが弾くピアノの音が聞こえてきた。そろそろ、切り上げ時だと思った。
デミャニュクやグレーニングの有罪判決はなぜ可能になったのか。前例にとらわれなかったヴァルターやキルステン・ゲッツェ(編集部注/裁判官出身でナチ犯罪追及センターに勤務。ヴァルターと志をともに活動した)らの存在は欠かせなかっただろうが、理由をもう少し探ってみたい。
時の経過という理由は間違いなくあるだろう。デミャニュクの裁判に臨んだ検察官はいずれも若手だったという。2000年代になれば、検察官だけでなく、裁判官や弁護士、そして学界にも、ナチ時代を直接経験したり、後ろ暗い「過去」を持ったりしている人物はほとんどいなくなっている。「大物」に遠慮することなく、捜査や裁判指揮、研究が可能になる下地が整う。
外務省や司法省が、自らの検証に乗り出したのも、全て2000年代に入ってからのことだった。アウシュヴィッツ裁判の功労者、検事長のバウアーに再び光が当てられたのも。







