高齢者への苛烈な責任追及が
真相解明を遠ざける?

 ヴァルターへの取材で聞いた「赦し」という言葉について、その後考えを巡らせた。

 帰国後、グレーニングに対する裁判に関連して、イギリスの研究者が興味深い提案をしていたのを知った。自ら罪を認めた(グレーニングが認めていたのは、倫理的な罪だったが)高齢者を法廷に立たせ、有罪を言い渡すというやり方は、過去に自らが見聞きしたナチの犯罪について語ろうとする人々を躊躇させ、ひいては歴史的な過ちを後世に語り伝えるという目的を達成できなくするのではないか、といった内容だ。

 この研究者は別の方法として、南アフリカが設置した真実和解委員会のような組織で、ナチ犯罪の加害者と被害者が向き合う「修復的司法」の可能性に言及していた。

 南アの真実和解委員会は、アパルトヘイト下での人権侵害や犯罪について、加害者が真実を告白すれば、引き換えに刑事責任を免れる免責規定が設けられていた。真実の解明を通じて、国民の和解を目指したもので、南米などでも成果を挙げている。

 ナチ犯罪に対する司法の取り組みに「過ち」や「不足」があったのであれば、思い切って、司法の枠組みを超えた手法は検討できないのだろうか。

「赦し」てしまったら
被害者は置き去りのまま

 実はナチ・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールにも「赦し」をテーマとした著書がある。『ひまわり』は、死に瀕した親衛隊員から赦しを乞われるユダヤ人の主人公(ヴィーゼンタール)の物語だが、最後に読者にこう問いかけている。

「私だったらどのような行動をとっただろうか?」。

 そして、作品を一層ユニークなものにしているのは、ヴィーゼンタールは世界中の宗教者や思想家、研究者らに書簡を送り、その「答え」を掲載している点だろう。南アで真実和解委員会の議長を務めた、元ケープタウン大主教のデズモンド・ツツその人も、考えを寄せている。

書影『終章ナチ・ハンター』(中川竜児、朝日新聞出版)『終章ナチ・ハンター』(中川竜児、朝日新聞出版)

 真実和解委員会方式についての考えを聞きたいとヴァルターにメールを送ったところ、「最新版には私も(義母の)ファヒディも考えを寄せている」という回答で、その原稿が送られてきた。私が購入した日本語版『ひまわり』には、53人の「答え」しか載っていなかったが、外国語版は版を重ねるたびに収録する「答え」を増やしているという。

 ヴァルターはメールに、「真実和解委員会」についてのシンポジウムに参加して学んだ経験があることに加え、委員会方式は体制の移行期には効果を発揮するが、ナチ犯罪は犯行時から長い時間が経過しており、その間被害者は置き去りにされていた、といった相違点をつづっていた。そして、最新版の『ひまわり』に寄せたという回答は、デミャニュクやグレーニングの裁判、そして生存者らの意見を踏まえて論を進め、「ホロコーストという人類の犯罪に対して、罪の終結や加害者の免責を導くことは適切ではありません」と結んでいた。

 時の経過はそれほど長く、重いということだろうか。アウシュヴィッツ裁判の検察官だったヴィーゼが、現在の訴追について「遅すぎた」という言葉を二度繰り返していたことを思い出した。