私の例ひとつ取り上げても、この審査体系はうまく機能しているようには思えない。
たしかに、もし私が大家になって、誰かに家を貸すとしても、できれば年収の情報は聞いておきたい。しかし、それは大して重要なことではない。私なら年収よりも資産配分、資産配分よりも仕事の具合、そして仕事の具合よりも人格を重要視するだろう。
良い感じの人に住んでもらえるなら、家賃を下げても構わないし、支払いのタイミングもフレキシブルで良い。これは別に、良い人だと思われたいわけではなくて、それくらいの温度感で経済活動に参加したいという話。
ちなみに、UR(独立行政法人都市再生機構)が管理する物件の場合、一年分の家賃をまとめて先払いすることができる。また、保証人や家賃保証会社を立てる必要もなく、昨年度収入が少なかったとしても契約に支障が出ないようになっている。
支払い能力も何も、すでに支払っているのだから当たり前だ。しかし日本国内の一般的な賃貸物件には、先払いという選択肢は用意されていない。
タイの外国人向け物件は
即日入居できてしまう
タイで外国人向けのマンションを借りたときは、エントランスで管理人と直接話し、デポジットとして数万円相当のお金と、パスポートのコピーを預けるだけで即日入居することができた。預けたお金から修繕費や電気代が引かれ、退去時にまだ余っていたら返してくれる。
日本の敷金というシステムに似ているが、こちらは形式ばったものではなく、より透明性が高くて無駄がない、シンプルかつインテリジェンスの高いシステムに思える。
『お金信仰さようなら』(ヤマザキOKコンピュータ、穴書)
日本でも先述のURや、一部のシェアハウス、空き家バンクなどで変則的な契約案が用意されているケースもあるが、大半の物件は年収で信用を測られたあと、敷金や礼金や消毒代とかいう謎のコストを支払い、甲だか乙だかいつもわからなくなる呪文のような契約書を読み合わせ、自分と連帯保証人による割り印の儀式を経由して、ようやく部屋が借りられる。
この一連の儀式を進める間、私たちは前年の収入で信用価値を測られている。ずっと前から、何をしているのかわからないが、呪術だからしょうがないと思いながら何度もやり過ごしてきた。
価値の測定可能性が過熱的に信奉されている現代において、人間の価値あるいは信用を、収入や支出や貯金額で測定されることは少なくない。
そして、この時代に生まれ育った私たちの価値観の中にも、市場信仰は沁み込んでいる。







