
「嫁入りは女子(おなご)の戦ですよ」
「私は一ノ瀬家の娘として望んで嫁ぐんです」
覚悟を決めたりんに、美津は「私は旦那様と添うことができて、それは幸せでした。どうせなら、母に負けぬほど幸せになりなさい」と応援する。
りんは「奥様」を地味と思っているが、美津は信右衛門の「奥様」になって幸せだった。
「嫁入りは女子(おなご)の戦ですよ」
「とびっきりの上がりにしてみせます」
「奥様」は実人生では決して「上がり」ではなく、そのあと戦が待っている。
その頃、東京の直美は長屋にいた。
そこに訪ねてきた人が「こちらに大家さんはいらっしゃいますか?」と聞くと、この長屋に住んでいるのはみんな大家さんだよと言われ「皆さん、ご親戚ですか?」と驚くと、
「赤の他人。名前を勝手に付けていいって言うからね。みんな大家にしたの。名前くらいは店子(たなこ)じゃなくて、大家がいいってね」
1875年(明治8年)に「平民苗字必称義務令」が出て、国民が全員、名字を名乗ることが義務化された。
それまで名字のない人たちもいたことも興味深いがさらに興味深いことがある。現代用語の基礎知識(2019年版)で「平民苗字必称義務令」を引くと、「(1875年)により国民が皆平等に苗字名字をもつことが定められた後の『太政官指令』(76年)では『夫婦別氏』と規定されていたが、その後明治民法(98年)で『夫婦同氏』とされるようになった」とある。
誰もが名字を名乗るようになったときには夫婦別姓であったのだ。
『風、薫る』がそれを暗に指摘しているかどうかはわからない。
名字を「大家」と勝手につけて、たくましく生きている直美。親を知らないみなしごの彼女は、マッチ工場で1日中働いてマッチ1箱分の給料という過酷な労働環境にいた。そこには、赤ちゃんを背負っている人も働いている。
「今月厳しくてカツカツ」という直美。「カツカツ」という表現がこの時代にあったかはわからない。伝道者になれば活動費をもらえるが、直美は伝道者になる気はない。
教会はいいところ、貧しい人たちに炊き出しをしてくれる。直美も教会のおかげでいま生きられるのだ。
そんなある日、マッチ工場で雇用者の持っていた本「学問のすすめ」がなくなった。







