「関税をゼロにすれば自然と輸出が増える」と言っているわけではありません。関税が撤廃されることで初めて、本格的な輸出戦略を立てる意味が出てくるということです。いまのまま国内で守られている限り、外を見る理由がありません。しかし、関税という殻が破られれば、農業がようやく世界と向き合うスタートラインに立てるのです。

 日本の農業が国際的な視点を持つことには、農産物の輸出にとどまらない意味があります。それは、「世界水準で農業を再設計する」という視点をもたらすからです。作物の品質、安全基準、栽培方法、トレーサビリティ、労働環境、そうしたすべての基準を、世界と比較しながら見直す視点が生まれます。

 実際、世界の農業はすでに動いています。カリフォルニアの大規模農場、オランダの施設園芸、イスラエルの灌漑技術、そしてアジア各国の成長。そこではデジタル技術やロボット、データ管理システムなどが当たり前に活用されています。そこに日本の農家が飛び込んでいけない理由は、本来どこにもないのです。

 関税撤廃とは、単に障壁をなくすというだけではなく、「農業を内側から変えるための、外側からの刺激」なのです。それを拒むのか、受け止めて変化するのか。問われているのは、農家の覚悟であり、社会の選択です。

「アメリカの言いなり」は誤解
関税撤廃は交渉の問題だ

 関税の撤廃という話題が出ると、必ず「アメリカの言いなりになるのか」という反発が起こります。確かに、歴史的に見れば、日本は外交交渉において強く出ることが難しかった局面が多々ありました。農業分野でも、牛肉・オレンジの自由化、BSE問題、TPPなど、常に圧力を受け続ける側だった印象があるのは事実です。

 しかし、私はこの反応には大きな誤解があると思っています。そもそも、交渉とは「自分の意志を貫くために戦うプロセス」であって、相手に従うか否かという二者択一ではありません。自らの利益をどう守るか、あるいは何を交換条件として何を得るかを冷静に考え、準備し、戦略を立てて臨むことが、交渉という営みの本質です。状況は違いますが、私はビジネスの前線で、交渉の際には常にそのようにふるまってきました。

 日本の農業政策はこれまで、「守ること」に重きを置きすぎてきた面があります。その結果、守るための理屈を組み立てることには長けてきたものの、「攻めて何を得るか」という視点が育ってこなかった。交渉を防御の場としてしか捉えられないまま、国際社会と向き合ってきたのではないでしょうか。

 しかし、現代の国際関係においては、攻めの交渉こそが重要です。たとえばコメの関税をゼロにする代わりに、日本産のコメや青果物がアメリカの高級スーパーで扱われるように特別の措置をとってもらったり、米国の大都市圏での販促キャンペーンにアメリカ政府に協力してもらう、といったことを戦略的に提案することは可能でしょう。

 そのような発想が欠けたままでは、どのような交渉をしても「言いなりになっている」としか見えないでしょう。交渉では、「自分が何を差し出せるか」と同時に、「何を得ようとしているのか」を明確にする必要があります。その準備がなければ、何を差し出しても奪われただけに終わってしまうのです。