「なぜ50分間逃げなかったのか」は明らかにならず<br />遺族が憤る大川小検証委・中間報告の内容検証委会合の冒頭は全員で黙祷したが、ある委員からカメラのシャッター音が気になると指摘があり、やりなおした(2013年7月7日、石巻市内、コンパクトデジタルカメラで撮影)
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 学校管理下にあった児童74人と教職員10人が、東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校。3ヵ月半ぶりに開かれた、7月7日の第3回大川小事故検証委員会では、これまで委員たちが調査・収集した情報を基に用意された「中間報告とりまとめ案」についての話し合いが公開された。

 しかし、その中身はすでに遺族が調べてきた事実ばかりで、目新しさはなかった。細かい間違いやあやふやな情報、意図の不明な内容も目立った。しかも、遺族側の求めている「なぜ、51分もの間、学校からほとんど避難しなかったのか?」という事実解明の核心部分の議論は、一切なかった。

 傍聴した遺族たちからは「頼んでもいない検証してるっちゃ!」などと強い怒りの声が上がり、傍聴席では悔しさで涙を流す母親たちもいた。また、市議らの間では「2000万円の(市が拠出した検証)予算を執行停止にさせろ!」という会話も交わされるなど、いったい誰のための第三者委員会なのかが、改めて問われる状況になった。

 検証委が報告した中間とりまとめ案では、冒頭に、作業方針として「基礎的な周辺情報から収集・精査し、徐々に核心部分へ踏み込む」ことで合意されていたことが説明された。「ゼロベースの検証」とするため、市教委の調査をはじめ、遺族が調べてきた様々な情報を精査し、遺族の「知りたい」気持ちに応える情報の検証も行う方針だという。

 また、作業の経緯の説明もあった。大川小学校の裏山に登って調査したり、資料収集を行ったりしたほか、述べ72人から、計32回、65時間の聴き取りを行ったことを明らかにした。室崎益輝委員長(関西学院大教授)から、カメラでの撮影はここまでと退出を求められ、中間とりまとめ案の検討に入った。

避難所は曖昧、津波対策も実施せず
「ずさん」だった事前対策

 今回の第3回検証委会合で話し合われた事実情報は、大きく2つに分かれる。事前対策に関する情報と、事故当日の状況に関する情報だ。まずは、事前対策について見ていく。

 大川小と地域における災害の備えの調査を担当したのは、翠川洋調査委員(弁護士)だ。

 翠川調査委員が改めて確認したのは、大川小の「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」では、「第1次避難」は「校庭等」、「第2次避難」は「近隣の空き地・公園等」と記載があることや、児童の引き渡し相手を確認するための「防災用児童カード」と「児童引き渡し確認一覧表」を校長室書庫に保管するとされていたことなどだ。また、「近隣の空き地・公園等」はひな形の引き写しではなかったものの、具体的な場所や経路についての記載はなかったとした。ただし、当時の教職員たちが、「近隣の空き地・公園」がどこの場所を指していたかの認識については、調査していなかった。