それでは、光はどうでしょう。踏まれるということは、高く縦に伸びるような植物は生存しにくい環境でもあります。ということは、光を得るのも難しくなさそうです。
アスファルトのすき間は、外から見るよりも意外と快適な場所なのです。
「置かれた場所で咲きなさい」が
重荷になってしまった教え子
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。渡辺和子さんの著書のタイトルであるこの言葉は、「どんな場所であっても、前向きに自分のできることを努力することで幸せが見つけられる」という温かいメッセージが込められた言葉です。
私にとっては、とても素敵な言葉に感じられました。環境を変えることはできません。環境に文句を言うよりも、自分の行動を変えるしかないのです。
ところが、です。卒業した私の教え子が訪ねてきたとき、「この言葉が苦しい」と告白してくれました。
頑張っても頑張っても、ガマンしてもガマンしても、花が咲かない。置かれた場所で花を咲かすことは、「とてもつらいことだ」、とその教え子は言うのです。
人間は動くことができますから、「置かれた場所」から移動することはできます。学校や会社は辞めることができますし、人間関係も断ち切ることができます。
しかし、現代社会に生きる私たちは、置かれた場所から動く「勇気」をなかなか持ち得ません。置かれた場所で努力するしかないのです。しかし、環境は変えることができません。頑張っても頑張っても、ガマンしてもガマンしても、花を咲かせられないことがあります。
私と話をしているうちに、私の教え子は、学生時代に勉強した「雑草学」を思い出したようです。そして、ある言葉を創り出しました。
それが「置かれた場所で芽を出さない」です。
雑草は環境が整うまで
簡単に芽を出さない
雑草は、踏まれたり、抜かれたり、他の植物に比べて、過酷な環境で暮らしています。
そんな場所で、花を咲かせることは簡単ではありません。そんなとき雑草はどうするのでしょうか。







