学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が、数多く記録されているのです。
そんな「すごい」と「やばい」の両面から、日本史の人物のリアルな姿に迫るのが『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』。今回取り上げるのは、『小倉百人一首』の選者としても知られる平安時代の歌人・藤原定家です。

上皇の不興を買った天才・藤原定家の「嫌味すぎる歌」ワースト1Photo: Adobe Stock

意識高すぎで上皇にケンカを売る

 藤原定家は、美意識の高さと、ケンカっ早さの両方の性質をあわせもっていました。

『新古今和歌集』の編集を命令した後鳥羽上皇とさえ、編集方針をめぐってたびたび対立しました

 定家は「上皇め、何度も編集作業をやり直させやがって」とうらみ日記を書き、後鳥羽も「定家め、自分だけが正しいと思いこみやがって」と険悪ムードに……。とうとう歌会で定家が詠んだ、

「道のべの 野原の柳 したもえぬ あはれ歎きの 煙くらべに」
(道ばたの野原の柳は芽を出した。まるでわたしの悲しみから立ちのぼる煙と競い合っているかのように……)

 という和歌を見た後鳥羽上皇は「ネチネチとうらみがましいことを言いやがって!」と怒り、藤原定家を出禁にしました。

上皇の不興を買った天才・藤原定家の「嫌味すぎる歌」ワースト1イラスト:和田ラヂヲ(『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』)

 出禁になってふてくされた定家に、友人が「うちの別荘のふすまに貼る和歌を好きに選んでよ」と新しい仕事を依頼しました。

 この別荘が「小倉山荘」という名前で、選ばれた百人の和歌集が、かるたで有名な『小倉百人一首』です。

 百人一首の97番目にちゃっかり自分の歌を入れた定家ですが、ケンカをした後鳥羽上皇の歌も99番目に入れています。編集方針は合わなくても、歌の実力は素直に認めていたんですね。

(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』からの抜粋です)