セリフがなくなり、音楽だけが流れるその瞬間、視聴者の意識は完全に曲へと向かう。物語との相乗効果で、「この曲がほしい」とサウンドトラックの購入に繋がるのだ。

 考えてみれば、『ロングバケーション』のサウンドトラックにも、英語詞の劇中歌(CAGNET「Deeper and Deeper」など)が収録されていた。おそらく、重要な場面でその歌が効果的に使われ、視聴者の耳に残るような演出がなされていたのだろう。

 そしてもう1つは、『踊る大捜査線』や『ルパン三世』のように、オープニングテーマとして印象的なインスト曲が毎週流れるケースだ。その曲が劇中の盛り上がりでも使用されれば、トレンディドラマ時代の主題歌と同じような扱いとなる。

 他の劇中曲も「このキャラクターにはこれ。緊迫したシーンにはこれ」というパターンで、その曲を印象付けていく。これもまた、視聴者が音楽そのものをはっきりと認識する機会が提供されているという点で共通している。

サントラに興味を
持ってもらうために

 結局のところ、視聴者が「音楽に意識を向ける瞬間」が作品の中で作られない限り、サウンドトラックのセールスに繋げることは難しいのだと思っている。セリフや効果音の裏で流れるBGM(バックグラウンドミュージック)は、物語に集中している視聴者の意識に上りにくい。音楽好きとかでなければ、その音楽を単体で聴きたいとまでは思わないだろう。

『錯覚の音』書影錯覚の音』(澤野弘之、扶桑社)

「今、後ろで流れている音楽は何だろう?」と、少しでも視聴者の心にフックがかかるような使われ方、もしくはシーンと音に入り込む演出による相乗効果がなければ、興味は喚起されない。

 この考えがあったからこそ、僕はサウンドトラックに歌モノを入れることが重要だと考えていた。もちろん、単純に好きだから入れたいという気持ちもあったが、それ以上に、歌をきっかけにして、人々が「うん?」と音楽に耳を傾け、サウンドトラック全体に興味を持ってもらうための狙いという意味合いが強かった。

 そして、実際に歌モノを作ると、監督や選曲家もその曲をどこで効果的に使うかを真剣に考えてくれる。そこまで緻密な戦略を立てていたわけではないのだが、「好きだから」という純粋な動機と、「サウンドトラックに興味を持ってもらいたい」という思考、その両輪で僕は音楽制作に取り組んでいた。