すでに脳は報酬を受けているので、他人に何を言われても特に変化は感じません。「好きなモノは好きだ」と思うことに慣れているからです。
話題になったヒット作を
読み続けることの落とし穴
さて、この「面白い」と感じる感覚が2種類あるにもかかわらず、一見同じ姿をしているという事実が、創作の現場では混乱の種になります。
たとえばSNSでよく話題になる問いかけに、「作家を目指している人は、話題になったヒット作だけ見ていればよいのか?」というものがあります。編集者から「まずはヒット作をたくさん読め」と指南されることも多いのですが、それは本当に正しいのでしょうか。
私自身も同じような道をたどってきたのでよくわかるのですが、ヒット作を何本も読んでいくと、その「プロトタイプ」が頭にこびりついてくるだけなのです。
実際、自分も新人の頃、編集者から「とにかく人気作をたくさん読め」と言われた時期がありました。その助言は一見もっともらしく感じられたのですが、読めば読むほど「こう描けばウケるらしい」という構図ばかりが頭に残り、逆に自分の「好き」や「描きたいもの」が見えなくなっていきました。
ここまで読んできた皆さんなら予想がつくと思いますが、「社会的共感」の面白さばかりを集めていけば、ヒット作に似た「凡庸さ」の漂う作品が頭の中を支配することになるのです。
創作者や、その人にアドバイスを与える人が「共感的面白さ」しか知らないとすると、これはかなりやっかいなことになります。
「自発的な面白さ」の
ヒントはSNSにある
そもそも、創作とは「これから生み出すもの」であって、「すでにヒットしているもの」ではありません。すでにヒットしている作品を基準に面白さを突き詰めていけば、最終的に「全体がそれに似た何か」へ向かって突き進むしかないからです。
そして、思い浮かべてみてほしいのです。世の中に残り続けている作品は、本当に「以前にヒットした似た何か」なのでしょうか?







