顔がすぐに赤くなるのは、アセトアルデヒドが分解されず体内に滞留してしまうためであり、「フラッシャー体質」の人では、アセトアルデヒドを酢酸へ代謝する能力が低いと考えられる。

 その分、そうでない人よりもDNA損傷や炎症が増え、食道がんなどのリスクが上乗せされるのだ。「少ししか飲めないから大丈夫」と安心している人もいるが、むしろこの体質では少量でも危険信号である。

 だが、たばこと違って酒については、素朴な実感として「少量であれば体によいはず」と思い込んでいる人も多い。地中海式食事でも、適量のワインをゆっくり楽しむ生活様式は心血管や代謝のアウトカムに利益をもたらす可能性が語られてきた。

 しかし、がん予防という一点にかぎれば、最新の総説を俯瞰すると「飲まないほうが望ましい」という結論になるだろう。

 たとえば、赤ワインに含まれるレスベラトロールは実験レベルで抗炎症・抗酸化作用が示され、一時は赤ワインブームまで到来したが、一貫した発がん抑制効果を証明する臨床データは確立されていないのだ。

 とはいえ、飲酒は人生の喜びでもあり、飲酒文化は社交とも深く結びついている。がんにならないことと、酒を一滴も飲まないことを天秤にかけるのは、現実的には難しいことなのかもしれない。

賢人たちが説いた
ほどほどの禁酒のすすめ

《良いワインは、私にとって人生の必需品である。──トマス・ジェファーソン》

 ジェファーソンはフランス大使としてパリに滞在中にワイン文化に魅了され、帰国後はアメリカにもワイン造りを根づかせようと尽力した。農業も営んでいた彼が、自邸にブドウ畑をつくり、ワインを「生活の必需品」と呼んだことは有名である。

 この言葉からは、彼がワインをただの嗜好品ではなく、人生における必需品として大切に、節度をもって扱っていることがうかがえる。そのようにして楽しんでこそ、ワインは人間の心を豊かにし、生活に潤いを与えてくれるのだろう。

 ストア派(編集部注/禁欲的に生き、運命を受け入れることを説く古代ギリシアの哲学)の思想にもとづき、理性と自制によって欲望を律することを人生の中心に置いたセネカ(編集部注/古代ローマ帝政初期のストア派哲学者)も、酒については次のような言葉をのこしている。

《酒は憂いを払い、心を動かし、ある種の病を癒やす。……しかし、自由に健全な程合いがあるように、酒にもまた健全な程合いがある。──セネカ》

「程合い」という言葉は、快楽を完全に否定するのではなく、人間らしい楽しみを理性で調整するという意味である。「程合い」を超える飲酒が、がんや心血管疾患のリスクを高めることは現代になってようやく証明され、セネカの言葉が2000年の時を超えて浮かび上がった。

《長生きをしたければ中庸の道を歩け。──マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106-紀元前43ローマの雄弁家・政治家・哲学者)》

 セネカと同じストア哲学の支持者だったキケロは、政治的陰謀に巻き込まれて波乱の生涯を送りながらも、「中庸」であることの大切さを繰り返し説いた。

 その教えは飲酒習慣にもそのまま適用できる。過度の飲酒は健康を蝕む。だが、文化や社交を無視するのも現実的ではない。キケロのいう「中庸」こそは、現代人のがん予防にも生きる知恵といえるだろう。