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東京競馬場のコースがなぜ左回りに作られているのか、ご存じだろうか。その理由は諸説あるものの、その真相に迫ろうとすることで慣れ親しんだ東京競馬場のレースの見方が変わってくるかもしれない。※本稿は、フリーアナウンサーの矢野吉彦『競馬史発掘 正史に書かれなかったあんな話こんな話』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
競馬場移設の裏側にあった
鉄道会社社長の経営戦略
目黒競馬場を府中に移転させ、東京競馬場が開場したのは1933(昭和8)年のこと。目黒は右回りだったが、府中移設とともに左回りの競馬場ができた。これに関して、『東京競馬場50年史』(日本中央競馬会東京競馬場、1983年刊)には次のような記述がある。
目黒競馬場の移転候補地に府中がリストアップされていることを知って、当地への招致を推進しようとした人物がいた。今のJR南武線の前身、南武鉄道株式会社の野村龍太郎社長だ。野村は、府中に競馬場ができれば自社の鉄道がいわゆるアクセス路線となり、利用客を増やせると考えた。そこで、自身の人脈を通じて東京競馬倶楽部の幹部と接触、同社技師長の野崎信一郎に競馬場の設計図を書かせて招致実現を目指した。
この動きも功を奏したためか、府中に新競馬場を作ることが決まる。ただ、野崎の設計図は採用されず、スタンドは鉄道省出身の建築家・久野節(東武鉄道浅草駅・松屋浅草、近鉄宇治山田駅、南海なんば駅・大阪高島屋などを手がけた)の設計で建てられた。







