日本ダービー出走馬18頭の緊張の瞬間写真はイメージです Photo:PIXTA

1932年に行われた記念すべき第1回日本ダービー。その初実況は、六大学野球中継で知られた名アナウンサー松内則三によるものだった。日本競馬史に残る激走となったレースを、臨場感のある言葉から辿る。※本稿は、フリーアナウンサーの矢野吉彦『競馬史発掘 正史に書かれなかったあんな話こんな話』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

日本で初めてのダービーの実況は
六大学野球を中断して放送された

 1932(昭和7)年4月24日に行われた第1回東京優駿大競走(日本ダービー)。記念すべきそのレースの実況は、JOAK(編集部注/現・NHK東京放送局)の松内則三アナウンサーが担当した。松内は東京六大学野球の中継で名を馳せたスポーツ実況先駆者の1人。当日の一言一句は、『馬の世界』に連載された。もちろん本稿でもこれを引用する。

 放送は、発走予定時刻少し前の午後2時30分過ぎから、6大学野球中継を中断して行われた。東京放送局のマイクが神宮球場から目黒競馬場に切り換えられ、松内による実況が始まった。

「JOAK、JOAK。お待たせ致しました。これから目黒競馬場より東京優駿大競走の実況放送でございますが、これは全国中継で、北は北海道から南は九州のはてまで、すべて中継でお知らせすることになっておりまして、まだ各局の都合で放送中の所もございますので、はなはだ恐縮でございますが、そのままでしばらくお待ちを願いたいと思います~(しばらく“間”)~お待たせ致しました。これから東京府目黒競馬場より東京優駿大競走の実況放送でございます」。

「各局の都合で放送中」とは、地方局で独自番組が放送されている、ということだろう。各局がJOAKからの番組転送に切り換えるまで「しばらくお待ちを」と断った後、松内は沈黙。その間がどれほどあったかはわからないが、なんとものどかな放送だった。