羽田空港近辺の景色写真はイメージです Photo:PIXTA

昭和初期、東京・羽田に地方競馬ながら“日本一”と称された競馬場が存在したことをご存知だろうか。わずか12年で閉場した羽田競馬場の歴史の裏には、制度形成の過渡期において競馬に命を賭けたある男の活躍があった。近代競馬の系譜に確かに位置付けられた、知られざる歴史を解説する。※本稿は、フリーアナウンサーの矢野吉彦『競馬史発掘 正史に書かれなかったあんな話こんな話』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

昭和初期に絶大な人気を博した
「羽田競馬場」の跡地を訪ねる

 南関東3冠レースの第1戦と言えば「羽田盃」。ご存じの方も多いと思うが、このレースは昭和初期に存在した羽田競馬場を記念して命名された。

 羽田は、今で言う地方競馬場でありながら絶大な人気を博し、“日本一の地方競馬場”と称賛された。しかし、競馬が行われたのは1927(昭和2)~1939(同14)年の間だけ。太平洋戦争突入前の時局緊迫化により、あっけなく幕を下ろしてしまった。その歴史はどのようなものだったのか。

 1935(昭和10)年3月発行の『羽田競馬会沿革史』という本がある。そこには、同競馬場の草創期から中興期にかけての(といっても、わずか5年ほどの期間だが)経緯がまとめられている。以下はその書き出し。「馬事思想の普及馬匹の改良増殖による競馬施行が一般に認められ、同時に羽田競馬開催の必要が識者の間に唱えられて、ここに昭和二年七月十五日より四日間羽田入船耕地に約六万坪の土地を借入れて競馬場を建設し初めて優勝馬投票による競馬が(中略)施行された」。

 この「羽田入船耕地」が“羽田競馬発祥の地”。現・大田区東糀谷6丁目付近で、今は都営アパートや羽田中学校などが建っている。