本来、都民に安く提供されるはずだった「最後の一等地」はあれよあれよという間に、目端が利く「転売ヤー」や不動産投資家たちの戦場となった。「サラリーマンでも手が届く金額で都心のマンションを買える」はずだった最後のチャンスは、あっという間に庶民の目の前を通り過ぎていった。

 最終的に競争倍率は、650~1000倍へと駆け上がっていく。

不動産会社社長は
10戸購入して9戸売却

 晴海フラッグを射止めた人は、不動産のプロが多かった。私は4人の購入者に話を聞いたが、やはり全員がそうだった。

 1人目は、1990年から不動産営業をしている山下健一氏(仮名)だ。

 2002年に独立し、現在は社員60名の不動産会社社長である。売り買いした区分マンションの履歴を記録し始めた2008年以降にかぎっても、取り扱ったのは5000戸を数える。1990年以降の35年間では、7000~8000戸の売買に関わったと推定される。山下氏はそのすべての部屋を自分の目で見てきた。

「県立高校を卒業して、九州から出てきた時、東京で家を買えるくらいは頑張ろうと思いました。当時は電機メーカーに勤務していたのですが、電車の行き帰りに『JJ』を見るのが趣味でね。毎週買って穴が開くほど見ていました」

『JJ』とは、リクルートが1976年から2009年の『SUUMOマガジン』への移行まで発行していた、紙の住宅情報誌『住宅情報』の愛称だ。山下氏は、毎週買っては隅々まで読み、駅別の相場やどこにどんなマンションが建ったかを今でいうAIのように学習していった。

 そんな山下氏をして、晴海フラッグは「二度と出ないマンション」だと言わしめた。

「特にパークビレッジA棟は目の前が海ですから視界を遮るものが何もないでしょう。唯一無二だと思いました」

 彼は、最初に買った人々が完成前に転売するタイミングで、同棟を10戸購入した。1戸の価格は1億4000万円~1億5000万円。仕事柄、売主が元は1億円以下で買ったであろうことはわかっていたが、それでも「安い」と思った。