たしかに右傾化傾向にあるが
必ずしも多数派ではない

 ここまで、右派とは何かについて、抽象的なところから具体的なところまでを解説しました。また、現代日本社会における右派的なものについて概観しました。日本の右派とは国と伝統をことさらに重視する勢力を指します。ナショナリズムに関しては政治の「右傾化」が顕著にみられ、反個人主義的なバックラッシュも社会の変化に則した法整備を妨げているのが現状です。

 しかし、そうした勢力が日本社会の多数派の支持を得ているわけでは必ずしもありません。ことさらに強い一部の声をマジョリティが半ば容認している、もしくは無関心にふるまっていることが、右派にとって力を発揮しやすい状況を現出させているといえます。同時に、「左ばね」の弱さも影響しているでしょう。社会学者の小熊英二はこの状況を「左が欠けた分極化」と呼びました(7*)。

 政治以外の部分、いわゆる市民の社会運動としては、右も左も衰退が著しく、老人クラブと化しています。しかし、左の運動が必ずしも弱いわけではありません。活動量においては、むしろ左のほうが活発です。

 ではなぜ、「左ばね」が利かないのでしょうか。考えられることを2つ示しておきます。第一に、動機の違いです。伝統的社会規範は宗教的背景と密接なかかわりがあります。右派ナショナリズムも国家主義信仰と位置づけられないこともありません。何が言いたいかというと、左派の理性的な正義の追求よりも、感情的な要素を強く含む、なりふりかまわない右派の熱量のほうが優勢となるということかもしれません。

 第二に、メディア環境の変化です。マスメディアの弱体化は権力監視機能を低下させました。以前のように、マスメディアが多くの人に信頼され、情報源として重視されていたならば、マスメディアが右傾化を抑止する効果をより発揮しえていた可能性があります。また、ネットメディアの普及は、それまで流通してこなかった右派の言説を急速に拡散させました。ネットメディアはマスメディアの情報を相対化し、右派に有利な状況を作り出したといえます。

 いずれにせよ、一般市民のレベルでも右派的な考えが一定程度浸透しているのは間違いのないことで、そうした人々、右派市民の熱心な支持なしには、右派勢力とはいえ孤立無援の状況になってしまうのは間違いありません。

(7*)…小熊英二「『右傾化』ではなく『左が欠けた分極化』」(『日本は「右傾化」したのか』所収)