作品賞のプレゼンターを務めたのはウィル・スミス。これは黒人俳優から黒人を描いた映画に手渡したい、という映画芸術科学アカデミー側の意図が反映されたものだったのです。それだけに、時代が逆行したような体質に対する異議が働いたのでした。

新しい視点の映画が授賞できない
世の中の評価と賞の評価が乖離

 こういった映画芸術科学アカデミーの会員たちの姿勢は、過去の受賞例と近似しています。例えば、1970年に開催された第42回授賞式で作品賞に輝いた『真夜中のカーボーイ』(1969)。当時の映画界は、〈アメリカン・ニューシネマ〉の潮流にある作品が席巻した時代でした。ハリウッド映画における古典的な製作体制や表現方法に異を唱え、ロケ撮影を主体にアウトローやアンチ・ヒーローを主役にした映画群が人気を得たのです。

『俺たちに明日はない』(1967)や『卒業』(1967)、『明日に向って撃て!』(1969)や『イージー・ライダー』(1969)といった名作映画は、その代表格です。

 ところが、こういった新たな視点で製作された映画は、映画芸術科学アカデミーの会員から敬遠され、アカデミー賞とは縁がありませんでした。世の中の評価と賞の評価が乖離していたのです。『真夜中のカーボーイ』は〈アメリカン・ニューシネマ〉に属する作品ですが、監督のジョン・シュレシンジャーはイギリス人。『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックィーン監督もイギリス人なのです。つまり、アメリカ人がアメリカの問題を描いた作品を讃えたのではなく、アメリカの汚点をアメリカの外からの視点で描いた映画に賞を与えたとも邪推させるのです。

黒人俳優の地位が低く
アカデミー賞で認められない

 黒人俳優とアカデミー賞の歴史は、困難の歴史でもあります。黒人として初めてアカデミー賞を受賞したのは、1939年度の第12回に『風と共に去りぬ』(1939)で助演女優賞に輝いたハティ・マクダニエル。受賞スピーチでは「私の人種と映画界に恥じない存在でありたい」と語りました。

 第12回の授賞式は1940年に開催されているので、一見すると早い時代から黒人俳優の地位が認められたような錯覚をおこしてしまうのですが、当時は公民権運動のはるか昔。人種隔離政策のため、彼女に用意されたのは授賞式会場の座席ではなく、なんと食堂の椅子でした。そして、彼女の受賞は新聞記事にもならなかったのです。