「15分だけ時間をあげます。あなたが台湾で何ができるのか、英語で説明して」
「え!日本語じゃないんですか」
「私、そんなに日本語の聞き取りうまくないから」
いやあ、参った。英語なんてロクにできないのに。
冷や汗かきながら必死で話した後、彼女は「わかった」と言いました。
「続きは明日ね。泊まっているホテルはどこ?」
「いや、今日来たばかりで予約していない」
「そうなの。じゃ、代わりに取ってあげるから。明日はここに行って」
そう案内されて行った先は、中国生産性センター。企業オーナーたちの研修機関です。
僕はその後「教授」と呼ばれ、集中講義を任されることになりました。
思いつきで始めたことが
予想外の展開を呼ぶ
アポなしプレゼン後から、「教授」に。
一体、僕がどんな話をしてそうなったのかというと、こういう内容でした。
台湾はものづくりの生産拠点として発展してきたけれど、「いいものを安く」だけでは日本の二番煎じにしかならない。
産業革命以降、僕たちアジア人はアングロサクソン系にいいように使われてきた。
このまま世界の下請けに甘んじていいのか。
もっと価値あるものを世界に売っていこうじゃないか。
当時はまだインターネット開発の黎明期でしたが、アメリカの軍事情報にその兆しがあると聞いたことはあったので、「ダイレクトマーケティングの時代がきっと来る」という予想も。
とにかく、そんな大風呂敷を広げたら話が大きくなってしまい、いきなり1日4コマ週5日の講義をやることに。
プログラムなんてないから、思いつきを話す放談でしかないんだけど、なぜか妙に人気になっちゃって。
気づけば生徒が50人、100人と増えて、教室も大教室に変更。
なんにも決めずに始めたことが、不思議な展開を呼ぶことになりましたが、そこからまた思わぬ展開が待ってました。
講義を始めてから
台湾でさまざまな縁が繋がる
なりゆきで始めた講義はなぜか好評だったようで、毎週毎週、いろんな台湾企業から派遣された生徒がやってきました。







