「石の上にも3カ月」で
次々と学びを得ていく

 神田は浦和のラーメン屋(町中華)で、1年ほど在籍、いろいろなことを覚えた。あの頃、ラーメン屋(町中華)は、地域密着型で「地域の食堂」を兼ねるケースが多く、メニューは平均70~100種類を数えた。

 ラーメンや餃子などの中華だけではなく、大衆食堂にあるかつ丼やカレーライス、親子丼なども出した。神田は、小さな町中華で修行したことで、短期間で多くのことを学んだ。

 神田は率先して賄い飯を作っていた。中華鍋を振ってチャーハンや麻婆豆腐、エビチリ、青椒肉絲など、わからないところは店主に教えてもらって作った。神田は浦和の小さな町中華からスタートして運がよかった。

 神田はこの後、スポーツ新聞の3行広告を見て、東京・新宿御苑の寮設備のある中華料理店の厨房の職人に応募、採用された。

「浦和のラーメン屋で教えてもらったラーメンや餃子などのレシピ、作り方などを基本にしました。新しく勤めた先では、今まで覚えてきたこととレシピや作り方がどう違うのか、いろいろ確認しました。1軒より2軒、3軒と店を替わってチェックしていくと、餃子のレシピ、作り方などに新しいアイデアが浮かぶ時があります。これが、より優れた商品開発につながると思います」(神田)

 神田の信条は、「石の上にも三年」ではなく、「石の上にも三カ月」である。学ぶところがたくさんあればその店で続ける期間も長くなるが、そうでない時は次の職場を探して、転職した。この新宿御苑の店は6カ月ほどで辞めて、遊び慣れた地元の大宮に戻った。1966年(昭和41年)~1967年(昭和42年)、25~26歳頃のことだ。

ラーメン屋に勤めて3年で
中華食堂の厨房責任者に

「大宮駅東口の繁華街にあるラーメン屋に2軒ほど勤めて、料理メニューのレパートリーを広げました。この時期にはラーメン屋に勤め始めてから3年近くになっていたので、自信はなかったけれど、ある程度のことはできるようになっていたと思います」